Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

般若の独り言~シンキング・マインド

私は、テーラワーダ、アビダンマ系の仏教書が好きで、台湾や東南アジアで収集した本を、一冊又一冊と、書斎で読むのが一番の楽しみです(これはと思う本は、翻訳して当ブログにて、公開しています)。

ただし、私が収集する仏教書、すべて中国語です。

私は英語が大変に苦手なので、どんなによい仏教書でも、英語で書かれていると、アウトなのです。

ただ、そんな私の耳にも、最近「シンキング・マインド」という言葉が届くようになりました。

それは<シンキング・マインドを落とせ>という言い方で、仏教修行がお好きな方々の中で、流布しているようです。

英語が苦手な私、

シンキングは名詞か?現在進行形か?

マインドとソウルは、どう違うの?

などと余計な事を考えるものだから、これは一体何を言っているのだろうかと、長い間よく理解できませんでした。

しかし、機が熟したといいますか、先日、ちょっとしたことから、「ああ、もしかしたら、この事か?」と納得。

これは、テーラワーダでは

「聞いたら聞いただけ」「見たら見ただけ」という、

六門を守る修行方法に、相当するのではないかしらん?(タイのアーチャン・チャーご推薦の修行方法)。

また、若い頃読んだ禅宗の本に、「(世界を)分節しない」「主客の別なく」という言い方がよく出てくるのを、思い出しました。

我々が住む世界は、見た目のマクロ世界、見えないミクロ世界で構成されていますが・・・素粒子の世界のありようは、マクロ世界とは、全く別の振舞いをしています。

素粒子量子論が明らかにした世界は、「すべては振動である」または「すべては波動である」ということです。

昔、若い頃に読んだ禅宗の本の内容、最新の素粒子物理論、最近読んだ「無境界」(ケン・ウイルパー)が一つに繋がって、この世は、エネルギーの連鎖(波動の連鎖)だけがあって、<私>はいないのだ、という事が腑に落ちて、こうやって言葉にすることが、出来る様になりました。

我々は、何かの音を聞いた時、(たとえば)「あ、隣の部屋の本棚から本が落ちたな」と、間髪置かず、すぐに思考が立ち上がってしまうのですが、それを「聞いたら聞いたなり」にする事が出来たならば、世界を分節することなく、主客は立たず、<あなたは本来の自己に安住する事ができる>、という訳です。

まだまだ理解が浅薄かもしれません。

日々精進です。

    <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>