<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
しかし、父王、あなたは一国の君であり、また英明な王です。
何事にも深く思慮する事のできる国王が、なぜ、あの二人の愚かな話を信じたり、ウクナの邪見を信じたりするのでしょうか?父王、どうか三省して下さい。」
ルサーはまた言う:
「ウクナの定命論(=宿命論)では、『何人も、ただ八万四千大劫の輪廻を過ぎれば、自然に解脱を獲得することができる。どのような修行を通しても、生命を浄化する事はできない』というではありませんか。
生命の輪廻が自然に浄化されるものであるならば、なぜ、彼は、あの恥知らずの、裸体苦行を修習しているのでしょうか?
父王!
あなたは、彼の論点の矛盾に、気が付かないのでしょうか?」
ルサーは、父王に邪見を改めてもらいたい為に、注意深く、己自身の過去世について話始めた:
「父王!
私には宿命智があります。
私はかつて、静かな場所で深く思慮した事があります。
私が見たのは、ただ一生ではなくて、過去世の七世と未来世の七世でした。
私が覚えている過去の一番目の生から説明しますと、私は、一人の金細工の職人でした。
私は美貌で、親戚や友人は、私と手を組みたがり、その後、私は悪い友達と付き合いました。
その為・・・」
Pugagaalapi upanissayapaccayena paccayo hoti
ここまで述べると、ご在席のみなさんはお分かりかと思うが、国王は、ウクナの邪見に深く影響されていて、ウクナの邪見は、現在の国王の強くて力のある主要な依存(+の基)となっているのである。
この邪見は、強くかつ力を有していて、彼を支えている。悪友に接近した事が原因で、親依止縁が彼を支えている、という訳である。
アーナンダの過去生も同じであって、美貌の金職人もまた、悪い友人と交わったのである。
一人の人間が、悪知識と親しむならば、その悪知識の邪見は、彼の強力な後ろ盾となり、主要な依存基となる。
この事を、全くたいした事のない事柄だ、と軽視してはならない。
邪見は、深く人に影響を与える。
悪人に親しむと、悪人が我々の親依止の力となり、我々の邪見を支える事になる。
アーナンダの本生物語、すなわち、彼が金職人であった時の話であるが、彼が、非常に美貌であった為に、人々は一見すると好きになり、皆、彼をほめそやした。
その後、悪友に親しみ、彼は傲慢になり、何をしても許されるという悪習に染まった。
その結果、良家の婦女を侵犯して、邪淫戒を犯したのである。
金職人は、邪淫業を犯したけれども、この業は覆い隠されて、暫くの間、果報を生じる事はなかった。
この一生が終わった後、次の生ではアーナンダは、裕福な仏教徒の家庭に生まれ、大いなる好人物になり、一生において、法相に相応する布施、持戒などを行った。
次に我々は、彼の未来世を見てみる。
彼の、金職人であった時代の邪淫業が熟し、第三番目の世においては、彼は地獄に落ちて苦を受けた。
臨終の時の様子は、次回の法話で話す。
(2-28につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>