Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

業力は我々と共に

(あなた方が)いまなお、修行と学びの順序を理解しないので、私は、「業」が如何にして「業果」を形成し、また「業力」は、如何にして我々に付き従うのかを、説明する。

(+あなたが)造(ナ)した功徳と非功徳ーー業はすなわち「思心所」であり、それは生起し、その後に、消滅する。

今、私は、善意に満ち溢れた思心所でもって、みなさんに説法をしているが、その説法の過程自体において、思心所は、不断に生起しては、滅し去っていく。

後ほど、私が、己の住まいに戻った時、この思心所は、ほとんど滅し去って、継続する事は、ない。

ここにおいて、思心所という業は、どのようにして、衆生をして、新しい生命を齎しめるのか?(+という疑問を提起する)。

この現象は、多くの人々に疑問を抱かせ、多くの人々は、この疑問を、解決する事ができないでいる。

前に私は「善速行心」(kusalajo)と「不善速行心」(akusalajo)について述べたが、速行心は、他の心とは違って、それは非常に強烈なのである。

たとえば、熟睡している時の心は「果報心」(vipākacita)というが、果報(vipāka)は、前世の業によって生じた果報の事である。

(3-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>