Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-7(50/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

波羅蜜(pāramī)

次に、「業」、「布施業」と「布施波羅蜜」の「エネルギー」について説明する。

世間的な栄華富貴を祈求する業は、波羅蜜ではない(Paranam es ā pāramī ママ)。

波羅蜜とは、高尚なる者の財産であり、波羅蜜とは、高尚なる者の、習慣的な行為である」

菩薩、仏陀の大弟子(mah ās āvaka ママ)、第一弟子(aggas āvoka ママ)、または比丘、比丘尼等になりたいと発心する者は、善業を累積しなければならない。

善業を累積するという事は、決して世間的な幸福を得たいが為ではなく、今すぐに道智、果智、涅槃智を修習し、かつ己自ら、道、果、涅槃を見る事を言う。

この方式で布施、持戒などを修習するのを、波羅蜜と言う。

布施波羅蜜(dāna pāramī)

普通の人でも、波羅蜜を累積することはできる。

しかし、生命が輪廻するなかでの幸福を祈求する為に、波羅蜜を修するのは、よくない。

どのような事柄を実践していても、純粋な心でもって、道智、果智、涅槃智を得るために実践するのが良く、このようにして初めて、波羅蜜を累積することができる。

世尊がいまだ仏になる以前、菩薩であった時、三大阿僧祇劫の波羅蜜を累積し、また、その時初めて、布施波羅蜜の修習を開始したものでなく、それよりももっと早くから始めており、その結果、世尊は、非常に多くの、波羅蜜のエネルギーを蓄えていたのである。

世尊の、波羅蜜の修習に用いる心、思心所、速行心はすでに、因と縁に従って滅し去っているものの、しかし、そのエネルギーは、すでに蘊流の中において、保たれていたのである。

一生毎、一世毎、毎回の布施、その布施の心、心所、思心所、速行心はすでに滅し去っていても、しかし、そのエネルギーは温存される。

彼が、ヴェッサンタラ王(Vessantara)になったその一生において、布施波羅蜜などは、すでに円満具足し、次には兜率天に生まれて、一生補処の菩薩となった。

その後、兜率天から人間社会にきて、シッダッタ王子(sidadhatatha ママ)になり、かつ、この一生において、果を証して、仏になった。

このように、修行の道において、果を証して、仏になりたいと思うのであれば、波羅蜜と善業のエネルギーを累積するのは、決して欠かす事のできない行為なのである。

(3-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>