<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
業力が心識流に付き従う様子
輪廻の輪の中において、業力は、止まる事を知らぬげに、我々に付き従う。
そのように、正に業力が付き従う為に、菩薩たちは、一生また一生と、波羅蜜を累積することができるのである。すべての波羅蜜は皆、菩薩の心識流に付き従い、消失する事が無い。
たとえば、仏陀の前生、彼が Vessanatarā王であった時、仏陀に成るために具足しなければならない持戒の波羅蜜は、すでに円満具足していたのである。
心配や執着は鬼道に
臨終の時、少しばかりの悪業であっても、彼の以前に造(ナ)した善業の影響を弱める事になる。
たとえば:
財物に執着すれば、人をして不自由にするし、財物と親族は、人々を鬼道へと向かわせる。
財物に執着すれば、その人間は、餓鬼道に生まれることになる。
僧侶が、己の弟子、居士に情をかけて捨てがたい場合、または、己の道場を捨てがたい場合など、彼は鬼道に生まれて、その付近に留まり、生まれ変わる事を拒否するであろう。
礼賛(重複に付き略)
(4-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>