<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
業の四つの熟した果報に依る状況
Kalapadhipayag ānaṃ gatiy ā ca
yath ār aham、
Sampatti ñca cipatti ñca kammam āgamma paccati(ママ)
「趣成熟(趣成就?)」を得ることができるのは、功徳業の果報が熟したためである。
しかし、我々は依然として、無始以来の功徳業と非功徳業を持ちつつ、この世間にやって来た。
私もまた、非常に多くの功徳業と非功徳業を、擁している。
来世の果報はどのようであるかは、今生の行為ーー業如何によっている。
来世の果報は、どのような業によって決定されるのであろうか?
趣成熟(Gatisampatti)
もしも「趣成熟」であるならば、善業が優先となって、得られる果報である;
もし「趣敗壊」であるならば、非功徳業が優先となって、得られる果報である。
「成就(ママ)」と「負壊」には、各々、四つのグループある。
「趣成就(ママ)」とは、たとえば、我々が得た人趣は善趣である。
趣成就の内、極めて悪劣な非功徳果報は、人趣において、発生する事はない。
例を挙げて言えば:
人趣は善趣であり、故に、地獄道の衆生は、人類に害を与えることはできない。
人類の果報は、餓鬼の衆生とは異なって、食べ物が食べられないとか、水が飲めないとかの事はない。
ただ、彼に何かを与えてあげると、彼はそれを利用することができる。その点は、何も食べる事が出来ない、餓鬼とは異なる。
故に、人趣は、善趣であり、人趣の功徳業は、殊勝なのである。
(4-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>