Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

般若の独り言~依法不依人

本日、死刑のニュースがありました。

多くの殺人事件・・・人々に、宗教とは恐ろしいものだ、という誤解を与えた事件でもあります。

あなたが仏教徒であるならば、どうか<依法不依人>であって下さい。<依戒律不依人>でも結構です。

キーポイントは<不依人>です。宗教の指導者に、必要以上に依存しない事です。

法師や禅師、あなたの指導者、善知識は、仏陀の代わりに説法をし、座禅・瞑想の指導をしますが、仏陀より偉い訳ではありません。

神通も、禅定がある人が、少し訓練すれば得られる能力であって、超人などというものはありません。神通で他人を眩ます人、眩まされる人、共に未熟な行為です。

在家者でも、出家比丘の戒律をよく学び、戒律違反があれば、勧告や批判をする事はできます。

法師の説法を聞いても、法師が大事なのではなくて、話される内容が大事です。勿論、あなたより一歩先、半歩先を歩いている法師、禅師は尊重に値しますが、心酔する必要はありません。

法師、禅師が戒律を守っているか、話される法話が、理性的で筋が通っているものであるかどうか、早飲み込みせず、鵜呑みせず、よく考えて下さい(聖者になった者は、戒律違反をしても許されるのだ、という一部の言説がありますが、正確には、聖者なら戒律違反をしない、戒律違反を毛一筋も必要としない、のが正解です)。

仏教は魔法ではありません。

集金の手段でもありません。

我々の存在の有り様(素粒子の有り様、心のあり様)が、無常・苦・無我であり、己の行動は、自業自得であるから、細心の注意を払いながら生きるように、と言っているのです。

    <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>