Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》4-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

時成熟(kālasampatti)

単一的な「趣成熟」は、我々に、円満な善果を齎す事は、ない。

どうしても、その上に、時節因縁の成就ーー「時成就」が、必要である。

時節は、好い時節もあれば、悪い時節もある。

たとえば:

あなたが生まれたのがその時代、社会全体が、貧民を支える時代であれば、身が富豪であるべきあなたでも、充分な利益を得る事はできない可能性があり、相当の苦労を強いられるかも知れない;

貧困な人は、貧民を支える時代に生まれたならば、相当に有利な場合もあり得る。

ただ、すべてが順調であるとは言えず、一定程度の享受を受け取ることができる、という訳である。

たとえば、得る事ができたのは人趣であり、時代はまた、富豪を支える指向にあって、資金は増えて、金儲けもスムーズに行く時代であるならば、富豪たちは、何事にも取り組みやすく、非常に安楽に過ごすことができる。

時代の成り行きとは、固定的ではなく、随時に変化するものである。

依報成熟(upadhisamapatti)

依報とは、我々の色身、容貌を指す。

たとえば:

子供の容貌が美しく、可愛いい場合、父母は必ず、非常に嬉しいに違いない。

というのも、彼の依報が良く、そのため、祖父、祖母も嬉しくて「これは私の孫!」と言うに違いない。

反対に、この子供の依報が悪い時、容貌は醜くなるが、それでも母親は彼を愛し、彼の世話をするであろう・・・というのも、彼女が彼を産んだから。

しかし、父親はどうであろうか?祖父も祖母も余り抱きたいとは思わないかも知れない。

これが依報の違いによって生じる、差別待遇である。

私は、何度となく強調している。

この一生において、なるべく多くの善い事をする事、福報を多く修する事、怒らないこと。

常に怒っていると、醜悪になる果報を得る事になるが故に。

時々刻々、己自身の心に注意を払い、時々刻々、心、思心所が歓喜の光明の中にあるように保つ事。このようにして初めて、荘厳で美貌の果報を得ることができる。

男性であっても、女性であっても、荘厳に生まれたならば、親戚、友人たちは、非常に彼、彼女らを好み、彼ら、彼女らと交流したいと思う。

容貌が荘厳なだけでなく、その上で学識が豊富で、親戚が豊かで、権力や地位があれば、尚更である。

このことは、誰が正しく、誰が間違っているのかという問題ではなく、これが<世間>なのである。

故に、あなた方は、依報がいかに重要であるかという事を知っている必要が、あるのである。

以前、スリランカの人々は、「牛肉を食べる」事が好きでなかった。

ある一つの種族が、この規範を犯して、こっそり牛を殺して食べた。

その後発見されれ、この種族に属するすべての人間は、捉まえられて、苦役に付かされた。

彼らが犯したのは、牛を殺すという行為であって、世を震わす大罪でもない。その為に、町の外にあるゴミを掃除するように命令された。

この一群の犯罪者の中に、非常に美しい少女がいて、国王が彼女を好きになった。

国王は彼女に王宮に入るように命令し、暫くしてこの少女は、王妃となった。

彼女の種族もまた、この事によって、解放された。

これは「依報」の荘厳である事の殊勝さ、の例である。

このように、功徳と非功徳によって得られる果報は、「時節」、「依報」の良しあしによって、差別が生じるものである。

(4-8につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>。