Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》4-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

在此人界、欲得増長、財富資俱、

長寿喜楽、智慧精進、是所依処。

これは、人趣と天趣と、異なるところである。

天人は、智慧と精進に、依らない。

というのも、天人は、彼が擁すべき幸福を、具備しているために、智慧と精進は、彼を利益して助ける必要が無いからである;

地獄道と餓鬼道の衆生は、智慧と精進に欠けており、彼らの愚かさと無知、智慧は、増上する事はできず、ひとえに苦を受けるしかない;

唯一、人趣のみが、智慧と精進を運用して、我々自身の人生を、改善することができる。

財産の増上と、寿命の延長は、智慧、精進と加行によって、支えられるものである。

基本的な智慧ーー常識があって初めて、健康的な飲食を料理することができる;

健康的な食物があって初めて、健康な身体を維持することができ、病痛を遠離し、寿命を延長することができる。

故に、智慧、精進、加行の三者は、非常に重要な地位を占めるものである。

子供が赤ちゃんの時代から、ゆっくりと成長することができるのは、父母の加行によって、細かいところまで、父母が子供の健康を、守っているからである。

例をあげて言えば;

父母は、非常に熱心に、子供の生活、健康的な飲食に気を使っている。彼らは、どのような時に、子供が食事するべきか、洗面するべきか、薬を飲むべきかを、知っている。

(+そのように保護された)子供が五歳くらいになった時、他の子供より健康であり;

10歳くらいになった時、身体は同じく健康であり;

15歳、20歳くらいになった時、また年老いた時、この子の一生は、病苦が少なく、非常に健康な生活を送ることができるに違いない。

我々は、更に一歩進んで考察してみるに、五歳になる前、父母が子供に与えた薬は、六歳になった子供の体内の残っているであろうか?

それはとうの昔に存在していない。

しかし、薬のエネルギーは依然として、子供の身体の内に、残留している。

12歳になると、5、6歳の時に飲んだ薬は、すでに存在しないが、エネルギーは体内に残っており、その為に、子供は健康でいられるし、また、その健康が、子供の一生に、影響を与えるのである。

我々の功徳行と、非功徳行もまた同じであって、昔に造(ナ)した功徳、非功徳行は、すでに消失してしまっているのではあるが、しかし、功徳と非功徳のエネルギーは、影のように、我々に付き従うのである。

もうひとつ例を挙げる:

ほとんどの子供たちは、五歳になった後に、学校に上がる。よい教師に巡り合った子供は、6、7歳になると、よい教師に出会えていない子供より、非常に優秀になっている。

彼らの学びえる知識と、教学の質は、非常に大きな差が、生じるのである。

故に、私は、基礎をしっかりと打ち建てるようにと、強調するものである。

基礎の良しあしは、その後の彼らの擁するエネルギーの差異となるからである。基礎は、個人の人生に影響を与えるキーポイントである。

我々が、功徳と非功徳を造(ナ)している時、智慧と精進を運用する巧みさは、生命の輪廻にとって、重大な影響を及ぼすものである。

故に、私は常に、力、エネルギーの重要性を強調しており、(+その内)発趣法への理解は、最も重要であると、考えている。

たとえば:

自然親依止の力によって、果報を造(ナ)す、また、業縁のエネルギーなど等。

故に、

在此人界、欲得増長、財富資俱、

長寿喜楽、智慧精進、是所依処

と言うのである。

人として生まれて、欠かす事のできない要素とは、智慧であり、精進であり、正念である。

(4-12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>