Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

<その時から私の奮闘は始まり・・・>

そして、その頃から、私は夜通し、すなわち、夕方から明け方まで、座禅・瞑想するようになった。

ある日の夜、私はいつもの通り、己の内部に向けて専注していた所、それ(=心)がすでに良好な、また、堅固な基礎を打ち立ててあったのが原因で、心は、軽々とサマーディに入って行った。

心は、定の中で休んでいさえすれば、外部にある身体の感受を覚知する事はないが、私が数時間の定の中から退出した後は、それを十分に覚知する事はできた。

暫くして、私の身体は、忍従しがたいほどの、激痛を覚えるようになった。心は突然、力を失い、あの良好で堅固であった基礎は崩れ去り、身体全体は痛みの為に、小刻みな震えが、やって来た。

結果、これより先、暫くは肉弾戦となったが、最後に私は、禅の修行における重要な技巧を発見する事となった。

思いがけず、激痛を発症したあの夜より以前、私は夜通し座禅・瞑想しようとは思わなかったし、そのような祈願もたてたことはなかった。

私はただ、通常と同じように、座禅・瞑想したかっただけであったが、しかし、身体の激痛に溺れそうになった時、私は思った:

「えっ、一体何が起こったのか?

私は一晩かけて、この痛みとは何かを探求してみよう」

私は一つの大きな祈願をした。

たとえ何事が発生しようとも、私は夜が明けるまで、決して座禅・瞑想を止めはしない、と。

私は、激痛の本質とは何かを点検し、その本質を理解しようと決意した。

私は深くそれらを掘り下げたいと思った。

もし、必要があるのであれば、私はこの激痛の真相を見つけ出す為に、命を投げ出してもよい、と思った。

智慧が、この問題に応答してくれた。

これより以前、私は激痛の為に、己の退路が断たれたと感じていたが、智慧というものが、それほど鋭利である事には、思いもよらなかったのである。

ひとたび私が(+座禅・瞑想を継続する事を)始めると、智慧は、決して諦めない、投降しない戦士のように、決して休むことなく、激痛の根源に向かって、探査を繰り広げたのである。

今回の経験から、私は深く信じるようになった・・・真正なる危機に出会った時、智慧は身を呈して、前面に出て来て、挑戦してくれる事をーー我々は、定まった運命の中で、永遠に愚かで無知である必要はないーー真正に危機が極った時、我々には、解決の方法を見つけ出す能力がある。

あの日の夜、この状況が、私の身の上に起きた。

激痛に溺れて、絶望の境地に入りかけた時、念住と智慧が、痛みの中に分け入ったのである。

(1-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。よろしくお願いいたします。

<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>