Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-5(75/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

あなた方の中に、至高で無上なる法を見ようとして、チャレンジした事のある人はいるのか?

それとも、あなた方全員は、盲目的に座り、目をきつく閉じて、大きな口を開けて、法に対して、野獣のような叫び声を上げるのか?

なぜ、あなた方は、己自身の首の頂点部分(=頭)にある穢れに向かって、吠えないのか?

よく考えてみて!

その一塊の穢れは火である。

貪と、瞋と、痴(=無知)が、その赤々と燃える大きな火のような穢れを作っていて、あなた方、一人ひとりの心が、汚染されている。

なぜ、あなた方は、己を顧みない?

法の殊勝なる本性を批判・評価したとて、何等の意味がある?

仏世尊は、我々以前に、この殊勝な境地に到達したが、もし、アチャン・マハー・ブーワの、仏陀の教法への理解が不正確であるならば、すべての声聞阿羅漢たちもまた、不正確という事になる。

しかし、実際は、あれら尊い阿羅漢たちは、永遠に尊敬するに値する。

あなた方は、なぜいまだに、己自身の心に、塵や穢れが充満している事に、気が付かないのか?

この種の、有害な自我(+意識)は、あなた方に堕落を齎す。

もし、あなた方が、これら汚染をうけた自我の弊害を見ることができないならば、あなた方は、法と衝突する事に、なるでろう。

法と衝突するという事は、石に向かて、刃物を振う事に似ているが、刃物で石に向かって行って、どうなると思うか?

あなたが、車を山に向かって、衝突させたならば、何が起こる?

怪我をするのは、誰であるか?

考えてみてごらん!

一桶の糞便が打撃を受ける。

殊勝なる者は、すでに世間を超越した故に、傷害を受けることはない。

仏教徒として、あなた方は、行為における一般的な準則を覚えておかねばならないーーあなた方の穢れをもって、他人を汚してはならない。

なぜなら、その過程において、あなた方は、己自身を壊滅させることになるが故に。

この様にすることは、何等の利益も齎さない。

私の言う殊勝とは、どこから来るのか?

私はすでに、この点に関して、タイの国民の一人ひとりに示して見せた。

もし、あなた方が、理性を尊ぶ事を拒否するならば、あなた方は他に、何を受け取る事ができるだろうか?

今日の人々は、一体何を追求しているのであろうか?

私が探し求め、追い求め、かつその為に命まで捨てようとして(+得たものは)、今、慈悲の心でもって、弟子たちを教え導いている、無上の甚深なる法である。

私は我田引水、嘘をついて、喧伝をしているのではない。

嘘、悪毒の流言飛語、これらはすべて必要のないものであって、それらは、法の円満なる本性の上に、更に付け加えるべきものではない。

もし、円満なる本性に、なにも付け加える必要がないのであれば、なぜ ”円満” と呼ばれるのか?

よく考えてみる事。

(3-6につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>