<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
同様に、我々の思想(=考え)と見解もまた、偽物を本物と見做してしまう事がある。
我々はよくこのように己自身を惑乱させる。
たとえば:
夜、我々は、そこに誰か立っているように思うのだが、実際には、それは樹木であり、人ではなかったりする。
または、我々は、一塊の灌木を見て、象であると勘違いする事がある;
または、一頭の象を見て、それを灌木であると勘違いする事もある。
この世界において、我々の誤解のすべては、心顛倒によるものである。
心顛倒は、「想顛倒」より更に深く、更に自覚し難いものである。
故に「心顛倒」は、贋物を本物と見做すようにして、我々を騙しにかかるのである。
しかしながら、心顛倒は、後者(見顛倒)よりは根深くなく、「心顛倒」は、事柄の因果を調査したり、研究したりする事を通して、割合、容易に真相を得て、更生する事ができる。
次に、道に迷った人間を例にとって、「見顛倒」の説明をする。
ある巨大な森林があって、森林には多くの悪魔、悪鬼が住んでいて、また、悪魔はこの中で、村落を営んでいる。
ある日、幾人かの旅人が、この森林にやって来たが、彼らは、森林を抜ける道を知らなかた。
悪魔は壮麗な小さな町を作り、それはまるで天上の町のようであった。そして、悪魔は、男または女の天人に化けた。
悪魔はまた、天堂(=天界)のような快適で、人を愉快にさせる道路を作った。
旅人たちは、これらの風景を見て、これらの道路が、彼らをもっと大きな町に連れていってくれると思いこんだ。こうして、彼らは、正しい道路を逸れて、間違った道路に入り込んだ。悪魔の建てた町に入り込んで、苦難に会ってしまったのである。
(1-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>