<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(五)二種類の趣
趣(gati)は、去処(destination)を指す。
趣は、生命の改変、流転である。
二種類の趣がある:
1、凡夫趣(puthujjana-gati)
2、聖趣(ariya-gati)
前者は、凡夫俗人の生死流転を言い、堕処(vinipātāna 受苦の場所、難に落ちるの意味)でもある。
言い換えれば、凡夫は、己自身が生まれたいと思う場所に生まれる事ができず、己自身が造(ナ)した所の業に従って、彼の往生の場所が決定されるが、それは、31 の界の中の一つ、という事になる。
ちょうど椰子の実、または果物の実が、木から落ちて来る時、我々は、事前に、それがどこに落ちるのかを、知る事ができない。
凡夫の死後の再生は、またこれと同じであって、我々は、彼がどこに往生するのかを、先に知ることはできない。
一つひとつの生命は、出生の時、すでに死へと向かっている事、それは定めである;
死後、彼は必ず輪廻に堕ちて、再度、生まれ変わる。
故に、個体の生命が誕生する時、死と、悪趣(dispersion)に堕ちるという、この二種類の、人に嫌がられる事柄は、影があなたに付き従うように、一つひとつの生命にしっかりと、付いて回るのである。
(5-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanaハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>