Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

《Vipassanāハンドブック》12、13(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(一二)三種の色

一、命色(jīvita-rūpa

Jīvita-rūpa とは生命を指す。

言い換えれば、生命力である。

その意味は、業力によって生じた所の、色身の生命力を支配して、色身の新鮮で活きている様を保持する事;

池の中の水が、水中の蓮の花を枯れないように、また、花が散らないようにするのと、同じである。

通常、会話で用いられている、たとえば「誰それは生きている」または「誰それが亡くなった」は、当該の「命色」の存在、または不存在を表明しているに過ぎない。

ある種の、特定の形式の生命が、永遠に止息する時、我々は以下のように言う:

「ある生物が死亡した」または「ある生物が生きている」と。

これは、それが、ある種の特殊な形態で生きているのを言う。

命色(生命力)は、全身に充満している。

二、食色(ahāra-rūpa

食色は欠かす事のできない栄養を言い、色身の成長の促進為に供給される。

それは泥土の中の水のようで、または空中から降っている雨が、樹木、植物を潤すようなものであり、またそれらの成長を促し、それらを肥沃させ、増長せしめ、長らく活かせしめるものである。

同様に、この種の食色は、我々の色身を潤し、または、我々の色身の成長を助ける。

我々の色身は、業、心、火(温度)及び食物からなっている。

食色は命色の主要な支持者であり、毎日の食物を獲得する為に、人は、世の中において、各種の異なる仕事を受け持つが、これは人間の生活方式または生計と呼ばれる。

三、行境色(gocara-rūpa

四種の感官領域を指す。

gocaraは、五官の感覚領域およびその対象を言う。

1、可見色:見ることのできる色彩、または各種の異なる物体の形状。

2、声(音):声(音)自体の本質。

3、香:香または匂いの質。

4、味:味または味わいの質。

ここにおいては、触または触れる事のできる物については言及しない。

というのも、それは四大種に含まれるが故に。

触は三種あり、それはすなわち、

地触(paṭhavi-poṭṭhabba):

拡張、展開することのできる有形の物;

火触(tejo-poṭṭhabba):

触して知ることのできる温度;

風触(vāyo-poṭṭhabba):

触して知ることのできる風。

上の四種の行境色に、触を加えれば、我々には、合計五種類の感覚領域があることになる。

その中で、可見色は、目の所縁境であり;

音は耳の所縁境であり;

香は鼻の所縁境であり;

味は、舌の所縁境であり;

身体は触の所縁境である。

(一三)空界

空界(ākāsa-dhātu)は、空間の要素を言う。一山の砂の中、一粒一粒毎の間には空間がある。故に、我々は、どれほどの砂があれば、その中に、どれほどの空間があるかを、言うことができるし、また、(+空間がある事によって)砂の粒子を区別することができる。

砂の山が壊されて、砂の粒が分散する時、砂山にあった空間も消失する。同様に、非常に硬い石、大理石、鉄塊と金属塊の中には、無数の原子と粒子があり、これらの原子と粒子は、kalāpasと呼ばれる。

最も微細で、最も小さい原子の分子の中には、少なくとも八種類の色法があるが、それはすなわち、四大種と色、香、味と栄養素である。

これらは一グループ毎に、それらの間の空界によって区別され、分け隔てられている。故に、そこには、その塊と同じくらいの空間がある。これらの空間の存在によって、石や鉄塊は分離することができ、小さな片に切り刻むことができ、灰塵に砕くことができ、または融化することができる。

(14、15につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>