<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
弐、度遍知
度遍知(tīraṇa-pariññā、または審察遍知):
深く正確に、名法と色法の刹那生・滅、盛衰を観察して、かつ、よく熟練して、名法と色法の連続性を分析して、刹那生・滅の事物とするのを言う。
以下の三種類がある:
1、無常遍知(anicca-pariññā)
2、苦遍知(dukkha-pariññā)
3、無我遍知(anatta-pariññā)
一、無常遍知
上に述べた三種類の内、無常遍知とは、死亡に関する完璧な、必要な知識。
ここのおいては、死はまた、二種類に分類することができる:
俗世死(sammutimaraṇa)と
勝義死(paramatthamaraṇa)。
この二個の名相(=名詞)において、世俗死とは、我々の習慣的な言い方で、それは世俗諦によれば、すなわち「未来の、いついつの時間に、一人ひとりの個人または、生物毎において、不可避的な出来事、事柄である」と言える。
勝義死は、心法と名法の刹那滅(死)を言う。
心法と名法の刹那滅は、一日に無数回発生する。
前者(世俗死)は、無常の特色が明確ではないし、また、無常遍知の範囲内にないが、それは(+世俗死の修習として)死随念(maraṇānussati)がある。
実際、後者(勝義死)は、無常の特色を明確に示しており、無常遍知の範囲内にある。
(20-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)