Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

《Vipassanāハンドブック》20-3(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

二、苦遍知

苦遍知とは、疾病、痛苦の固有な特性に対して、完璧で、必要な知識を言う。

苦はまた、二種類に分類することができる;

1、受苦(vedayita-dukkha):

痛苦を感じる苦受。

2、怖畏苦(bhayattha-dukkha):

恐怖によって生起する苦。

(一)、受苦

この二者の内、受苦とは、身・心に感受する苦を言う。

身苦とは、身体の各部位から来るもので、人をして、耐え難い痛苦を齎すものを言う;

心苦とは、心が体験する所の諸々の、たとえば、憂愁(soka)、悲(parideva)、憂悩(domanassa)、絶望(upāyāsa)などの苦痛を言う。

(二)怖畏苦

怖畏苦とは怖畏智(bhaya-ñāṇa)と過患智(ādīnavañāṇa)の範囲内の苦を言うが、それは生苦(=生まれる苦)、病苦、死苦、行苦(saṅkhāra-dukkha)と変易苦(vipariṇāma-dukkha)が含まれる。

これらの苦については後に述べる。

(中略)

この世界において、いまだ<我見>を取り除いておらず、かつ悪趣に堕ちる危険に対して、畏怖を感じないならば、それはまるで重大な疾病を抱える人のようである。

福報のある人、天人と梵天の生存環境、及び彼らのその中で体験する楽しさは、豊かな食物を前にした、楽しい感覚に、よく似ているものである。死後、悪趣に往生する状況は、体調が悪い時に御馳走を無理やり食べて、重篤な病気になった人間のように、その受ける痛苦は極めて大きいものである。

ここにおいて、受苦(vedayita-dukkha)と苦受(dukkha-vedanā)は、同義であるとする。

三種類の受がある、すなわち:楽受、苦受、不苦不楽受である。怖畏苦と苦諦と苦は、同義である。それらには、三種類の明確な特色がある。

すなわち:無常・苦・無我である。

故に、苦の固有の特質について、完璧で必要不可欠な知識を有している人、天人と梵天は、彼らが体験している所の快楽に対して、同じ様に完璧な、かつ必要な知識を有しているが、これを苦遍知(dukkha-pariññā)と言う。

(20-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>