Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

《Vipassanāハンドブック》20-4(F)(50/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

三、無我遍知

無我遍知(anatta-pariññā)は、心法と名法に対して、完璧で、必要な知識を具備している事と同じ様に、無我に関しても、完璧で、必要な知識を有している事を言う。

諸法が無我である事を観察する智慧によって、すべての色法と心法が、勝義諦で言う所の、真実不変な実体はない、という(+事が知れる)。

世俗諦で言えば、「人」もまた、真実不変の実体は、ない。

心法と色法によって組成された人と動物は、実質不変の「我(私)」というものはない;

また、真実不変なる「私」もまた確認されることがない;

人は、輪廻がいつまでも止まらないならば、彼の神識は、永遠に不死である。

もし人が、この種の智慧を得て、かつ頂点に到達したならば、この時、この種の智慧は、無我遍知と呼ばれる。

この三種の遍知(無常・苦・無我)は、また度遍知と言う。

度遍知(tīrāṇa-pariññā、審察遍知とも言う)とは、「思惟智」と「生滅随観智」によって、一切の、名法と色法の無常・苦・無我の三つを、審査し、察知し、また弁別できる事を言う。

(20-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>