<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(1)煩悩生苦
煩悩生苦の内、貪は非常に恐ろしく、強烈である。
貪は、随時に生じる。
それは、それが「喜ばしい」と思える外境を見つけさえすれば、火薬に火をつけるが如くに爆発し、その威力は、非常に強大である。
貪が生起する時、どのような方法でもって制圧しようとしても、それは、刹那において、大いに増長する。
故に、貪は真正なる「苦」である。
その為に、すべての聖者は、それに対して甚だ畏怖する。
貪愛と瞋、痴の心所と関連のあるものは、倫理学的には、1500個を数える。
まさに、有毒の蛇が、小高い丘にいるとして、この丘には、人々が怖れて近づかないのと同じである;
故に、人、天人と梵天の生存状態は、聖者の畏怖する所である。
解脱した聖者の誰一人として、以下のような観念をもつ人はいない:
「私自身」「私の身体」などと。
そして、それらと共に住みたいとも思わない。
聖者から見れば、人、天人と梵天は、上に述べた煩悩の生まれる場所であるが故に。
「煩悩生苦」は、真正に、人に怖れられる所の「苦」なる処である。
(21-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>