<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(3)果報生苦
果報生苦について、煩悩生苦と業生苦の恐ろしさ(+と比べても)、生死輪廻の内において、苦趣に往生する事も、(+後二者と)同じ様に恐ろしい事柄である。
故に、多種多様な衆生は、苦の生命の逼迫に迫られ、その上に果報生苦、煩悩生苦と業生苦によって生起する所の苦を加えて、大苦聚と呼ばれる。
道徳的な行為と、幸運によって往生処(善趣)に赴いたとしても、往々にして、煩悩が資糧を提供し、煩悩の火に燃料を投下し、乃至は、不道徳な行為を行うが為に、その結果、果報の因が生じて、これらはすべて、煩悩生苦の中で獲得せられるか、または生苦において、獲得せられる。
老苦と死苦は、毎回、同じ機縁によって生じるが、これらは刹那滅と刹那死の苦は、一人の人間が受胎した時から、己自身に付き従っており、人をして老衰させ、死亡させ、悪趣に堕ちる準備をさせているものである。
老苦と死苦は、壊苦と関連がある。
というのも、受胎の時から始まって、それらは、影のように各種各様の衆生に付き従っており、その為、人、天人と梵天もまた、老苦、死苦と壊苦から逃れられない。
彼らにとっては、この三種の苦は、真なる「苦」である。
(21-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)