Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

《Vipassanāハンドブック》20-16(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

人と衆生の、主要な特性とは、身・心の快楽(=楽しさ)に対する、渇望である;

現象界の顕著な特徴とは以下の通りである:

現象界の因または有為法は、一致性があるが、その一致性とは;

現象界の生・滅には、みなその起因があり、かつ、完全には人間の願望合致しない為に、その原因に違反する。

たとえば、ある人が暖かさを欲しているとして、それならば、必ず、暖かさの因を見つけなければならない;

ある人が涼しさを欲しているとして、それならば、必ず、涼しさの因を見つけなければならない;

ある人が長寿を願っているとして、それならば、必ず、長寿の因を見つけなければならないーー毎日適切な食物を提供する必要がある。

というのも、誰も長寿を願っただけで、長寿が叶う訳ではないが故に;

ある人が、善道に往生したいのであれば、その因ーー先に、必ず、道徳的または善行を具足していなければならない。

というのも、ただ希望するだけで、願い通りに、善趣に往生できる人は、誰一人として、いないが故に。

時には、ある種の錯誤的な見解または認識がある:

人間は、己自身の希望通りの人間になれるのだと。

ある種の機縁によって、人々は、思った通りに事が運ぶというのだが・・・実際には、事の発生が、ちょうど前因に合致しただけなのである。

また、多くの人々は、常に擁する錯誤的見解または認識は以下の様なものがある:

人々が良好な健康状態にある時、または身体の四種類の姿勢の内に、どれか一種類を採用すれば、自在を保持できるという言い方をするが、それはある種の事実を無視しているのである。

すなわち、その原因:前の日に食べた食物・・・これらの食物が、一時的に彼の身体を健康にしている事を(+人々は無視する)。

苦苦、壊苦、生苦、老苦、死苦など等に、実体がない事は非常に明確である。

苦の観点から検討した所の、無我の説明はここで終了する。

(22-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>