<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(二十二)度遍知の解説
観智(insight)と関連する三種の智能は、三相の特色について、充分に物語っているために、これを度遍知(tiraṇa-pariñña)という。
観智と関連する三種の智とは:
1、無常随観智(aniccavipassanāñāṇa)
2、苦随観智(dukkhavipassanāñāṇa)
3、無我随観智(anattavipassanāṇa)
この三つの観智のうち、最後の一個が提起する所の無我随観智は、<我あり>という邪見を断じ除く為に、真っ先に証得しなければならないもので、かつ充分に証得するべきものである。
無我随観智を充分に獲得する為に、先に、無常随観智を紹介する。
もし、無常随観智がよりよく観察される事が出来れば、無我随観智の証得は、容易になるからである。
苦随観智に関しては、我々は無常随観智を通して苦随観智を獲得する事はできない(+と考える)(注1)。
この種の出世間道ーー苦随観智には四つのレベルがあり、(+このレベルにおいては)いまだ、貪欲と驕慢は断じ除かれていない。
故に、苦随観智を証得するのは困難である。
そうであるから、仏教徒として、最も重要な事柄とは、完全に「苦界の苦」(apāyadukkha)から解脱する事である。
仏陀の教えは、この世界全体において消失した。
その為、仏陀が人類に向かって開示した「苦界の苦」から、人々は逃げる事ができないでいる。
「苦界の苦」から逃げるという事は、すべての不道徳的な行為と邪見を捨て去る事を言い、すべての邪見を捨て去るという意味は、「有我(我あり)」の邪見を、完全に捨て去る事を意味する。
(注1)無常・苦・無我随観智は、同時に現起(現象)するため、行者は、その中から一項を選び出して、観ずる。
ここで、Ledī sayādaw 大師は「無常随観智を獲得する事を通して苦随観智を証得する事はできない」と述べているが、その中の「苦随観智」は大師は「貪欲と驕慢」を言い、これは、「苦随感智」の本来の意味である所の、名色法の「逼迫性」(苦)とは異なるので、注意されたい
(訳者賛同)。
(22-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)