Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

《Vipassanāハンドブック》22-3(F)(75/80)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

観禅(vipassanā)の修習は、止禅(samatha)の修習と同じく、静かな環境において修習されるのが望ましいが、しかし、観禅は、いかなる場所においても、修習することが出来る。

成熟した観智は、非常に重要であり、必ずや証悟されなければならない。

もし、観智が成熟したならば、「無常随観智」は容易に証得することができるし、また、在家の生活の中においても、無常随観智は、得ることができる。

すでに観智を擁する人々について言えば、彼らの身体内外の一切の事物、彼らの家屋内外の一切の事物、または彼らの住む村落内外の一切の事物は、みな無常随観智を修する対象になる。

もし、彼らが不断に、色法と名法の生・滅現象を観察する事が出来たならば、彼らの無常随観智は、芽を出し、発展する。

しかし、観智がいまだ初期の段階にある人々については、彼らが、止禅の修習に励み精進すれば、無常随観智を獲得する事ができるのだ、と言える。

目を瞬く一瞬のうちに、無数回の刹那滅が生じるが、これはアビダンマにおいてのみ、語られる(+法である)。

しかし、内観(=vipassanā)を修習する時、人々は己自ら、物事の相続破壊(すなわち、徹底的な変化)と相続異変(すなわち、その後の変化)を体験することができる。

内観を修習する時、先に、色法の中の地、水、火、風の四大種と、心法の中の、六種類の認識作用を観察する。

もし修行者が、四大種が一日の内に、何度も生・滅し変異するのを、観察する事ができたならば、彼は所造色(upādārūpas)の生・滅を観察することができる。

(22-4につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>