Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

《Vipassanāハンドブック》23-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(二十三)断遍知

仏教哲学の中において、五種類の断(捨離)があるが、

それらは必ずや、研究されるべきものである。

1、彼分捨断(tadaṅgapahāna。暫時断)

2、鎮伏捨断(vikkhamabhanapahāna)

3、正断捨断(samucchedapahāna)

4、止断(paṭippassaddhipahāna)

5、出離断(nissaraṇapahāna)

これらの意味を明確に説明する為に、ここにおいて、三つの時期における煩悩ーーこれらの煩悩は、地(bhūmi)と呼ばれるが、それらは以下の三つである事を記述する:

1、随眠煩悩(anusayabhūmi)

2、纏煩悩(pariyuṭṭhānabhūmi)

3、違犯煩悩(vittikkamabhūmi)

この三者のうち、

随眠煩悩:

ある段階の時間においては、煩悩は存在しない。この時、煩悩は三つの段階(すなわち、始まり、静止と停止)において、不善心所として現起(現象)する事はなく、生命相続の中において、潜在した状態を保つものを言う。

纏煩悩:

ある段階における時間において、煩悩はすでに心門の中にあり、潜在的な状態から、不善心所として現起(現象)するーーすなわち、何らかの強くて力のある所縁境が、六根の中の、どれか一門において、煩悩をば励起したものを言う。

違犯煩悩:

ある段階の時間において、煩悩は斯くも深く重いものになり、かつコントロール(制御)する事ができないで、言行の上において、罪ある行為を行うものを言う。

無始以来の、生死輪廻の中における、生命の相続において、貪欲は、常に我々と共にあり、かつ、三種類の煩悩を、生じせしめている。

その他の煩悩は、上に述べたものと似て、それはたとえば、邪見、愚痴(=愚かで無知か事)、自大などなどであり、それは皆、三つの時期(存在の始まり、静止と停止)を持つものである。

(23-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>