<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏教の倫理学の方面では、戒学、定学と慧学などの三学(sikkhās)がある。
この三学のうち、一番目は戒学(silasikkhā)である。
戒学は三番目の煩悩、すなわち、違反煩悩を取り去るか、または捨離することができる。
後残りの二種類の煩悩が、いまだ断じ除かれていない為に、戒学によって取り除かれた煩悩は、再び生起して、かつ、非常に快速に増長し、そして、それらは違反的煩悩へと、変化する。
故に、持戒によって断じ除かれる煩悩は、彼分捨断(tadṅgapahāna)と言われる。
二番目は定学(samādhi-sikkhā)と言い、それは初禅、二禅などである。
定学は、第二番目の煩悩(纏煩悩)を、断じ除くことができる。
この種の煩悩は、戒学では取り除く事のできない為に、(+心内に)残っているものである。
随眠煩悩が、いまだ取り除かれていない為に、もし禅定の時に、何らかの障礙に出会うと、これら禅定によって取り去られていた煩悩は、たちまち生起、増長し、最後には、それらは違反的煩悩になる。
故に、禅定によって捨断された煩悩は、鎮伏煩悩(vikkhamabhanapahāna)と呼ばれるが、その意味は、煩悩と一定の距離を保つ、である。
この時、禅定は、相当の長い時間、煩悩の生起を押さえる事ができるが、それ故に、煩悩が非常に速く、再び生起する、という事はない。
というのも、禅定は入定の修行であり、煩悩を断じ除く上において、それは戒学より、強くて力があるからである。
三番目の慧学は、観智及び、出世間道と関連する智慧である。
この種の智慧は、第一番目の隋眠煩悩を断じ除くことができるが、この煩悩は、戒学でも、定学でも、断じ除くことのできないものである。
この時煩悩は、慧学によって断じ除かれ、残留する事はなく、二度と生起することもない。
故に、般若によって断じ除かれた煩悩は、正断捨離(samucchedapahāna)と呼ばれる。
その字面の意味は「切断、捨離」である。
(23-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>