Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~質問力

仏陀のダンマを学び、指導者について座禅・瞑想を実践している方々は、自分の指導者に質問をすることが多々あると思いますが、この時、質問上手と、質問下手とでは、返ってくる回答が、天と地ほども違います。

故に、「質問力」というものを、是非鍛えて下さい。

私が 20年前に、緬甸のモーラミャインで修行して、二年程経った頃、座禅・瞑想を開始するや否や、鼻の周りが締め付けられるような感覚になり、また頭もガンガン痛むようになりました。

当時の担当指導者 R比丘に聞くと「ジャーナに入ってしまえば何ともなくなるので、今すぐジャーナに入る練習して!」と言うお答えでした。

そりゃそうでしょう。

ジャーナに入るという事は、己の色身を忘れるという事なのですから、痛みの感受も吹っ飛ぶ、正論も正論。

これより正しい答えが、どこにあるでしょうか?

ただし、それは R比丘の提言を聞いて、2、3日で初禅成功!なら、その提言は有効なのですが、ところがこちとら、遍作定もおぼつかない人間、そうはどっこい、上手く行く訳がない。

一日、二日、三か月、半年・・・何時になったらジャーナに入れるのか、何時になったら、この顔面の不快感は消えるのか、頭痛は消えるのか、いよいよ絶望的な気分になったものです。

その為、ヤンゴンの、別の系列の寺院を訪ねた所、そこでは「頭が痛いなら、それは修行のやりすぎ。暫く我が僧院で休んでいなさい。ブラブラ、ゴロゴロしていなさい」と、R比丘とは正反対の助言。

しかし、他の系列の僧院にいつまでもお世話になる訳にもいかなくて、半月ほどでモーラミャインに戻ると、また頭痛。

それが10年後のある時、P尊者(パオ系Gwa僧院住職)の

一言で解決しました。

「あなたは、出入息念をする時の、息を観る場所を間違えている。熱心な余り、息がまだ鼻の中にある内に観に行くから、そうなる」「それは精進過剰による禅病なのです」

もし私が、R比丘に「鼻が痛い」「頭が痛い」と訴えると同時に、「これは、出入息念のやり方を間違えているのではないでしょうか?」「禅病なのではないでしょうか?」

と質問できていれば、あの後、何年も苦しまなくても済んだかもしれない・・・と思うと、「質問力」って大事だなと思います。

ダンマの知識を増やすのも大事ですが、「質問力」も、是非、強化して下さいませ。

追伸:もし皆さまが、セヤドー方と通訳氏を通してお話される場合、通訳氏に分かるように、簡潔な言葉を選び、センテンスを切り(二つの質問を纏めて一つにしない)、ゆっくり話して下さい。

あなたが思っているより、アビダンマの通訳は難しいですし、瞑想の微妙な体験を通訳氏に正確にセヤドー方に伝えて貰うには、質問者にも一定の智慧と努力が必要です。

技術・商用・旅行通訳体験者談。 

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>