Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

般若の独り言~感情と智慧

先日、IT のニュースを読んでいましたら「感情と思考(考察)」という文章がありました。

心理学の先生が書かれたものだと思いますが、仏法の修行とも少し似ています。

感情について、福岡ダンマセンターの勉強会でお話しきれなかった部分を、補足してみます。

私たち凡夫には感情があります。

楽しい事を思い出して、一人でにんまりしているのはまぁ、問題ないのですが、怒りや悲しみが大きい時、自分の器の小ささや卑屈さに、嫌気がさす時があります。

その時に「仏教徒は怒ってはいけないのだ」と自分に号令を掛けて、抑え込んでしまうのは、良い事ではありません。自分の心に怒りや悲しみが沸き起こった時、その感情をじっくり味わってみて下さい。それが<いい>とか<悪い>とかのジャッジを介入しないように、ただ湧き上がって、やがて消えていく感情を受け入れて、味わいます。

すると感情は、ほどなく消滅します。

これが心のエネルギーの働き、性質で、すなわち、生・住・滅であり、それは刹那的で無常なのです。ジャッジを介入せずに観察していれば、感情は刹那に生・滅する無常のエネルギーであり、無常のエネルギーには、実体がない事が分かります。実体がないものは、他者に影響を与える事ができません。

これが「手放せば(ジャッジしなければ)解放される」ことの本当の意味で、仏陀智慧でもあります。

仏教徒は怒ってはならない」とばかりに、教条的に己を抑制しても、その感情は地下に潜るだけで、いつかまた別の形で噴火します。己に湧き上がる感情をジャッジして、意味を持たせると、怒りや悲しみが実体性を帯びて来てしまい、圧倒されてしまいます。

それよりも

<今・ここ>の怒りを、

<今・ここ>の刹那の観察を通して、

<今・ここ>で昇華してしまう。

その様に何度も繰り返し努力・修習すれば、あなたはいつの日にか、笑顔のすてきな優婆塞・優婆夷になれる事、ゴータマ仏陀が請け合います。

追伸:上記の心理学の先生の主張は、<怒りを押さえない方がよい>という所までは仏法と同じですが、その後に、<怒りの齎す弊害をよく反省して理知的に処理する事>というものでした。

これは、一たび怒ったならば、怒りの収まりどころを知らないで、一日中怒っている人にはよい処方箋ですが、本質的な解決にはなりません。

上記の先生は、<怒ると自分が損をする>という《思考》、気づきへ導こうとしているのですが、他人の言動によって引き起された怒りは、己自身を傷つけることができない事を観察する方が、本質的な解決に向かいます(己の心の癖ーーー<業>を治す訳です)。

このことは、凡夫は結果をみて、その結果を何とかしようとするが、聖者は因(心の癖)を治そうとする、という風に表現されます。

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>