Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『禅修指南』紹介(12‐1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(P501)

第14章:道智と果定

(Phalasamāpatti、果等至)

(概要抄)

禅の修行者が、己がすでに道果を証悟したと思ったとしても、非常に多くの事柄が検証されなければならない。

多くの禅修行者の体験によると、涅槃と類似した多くの体験が、発生する可能性が、あるが故に。

導師の立場から言えば、彼ら(=弟子)を点検する事を、疎かにすることはできない。

「ソータパナ」は一種の名相の概念に過ぎない。

多くの経を聞いている者は「ソータパナ道果」とは何かを知っているが、そうでない者は、コンダンニャ尊者の知っている部分しか知らないのである。

「この時、コンダンニャ尊者は塵、垢を遠離して、法眼が生じた:『一切の生法は皆、滅法である』。・・・コンダンニャ尊者はすでに法を見、すでに法を得、すでに法を知って、すでに深く法を解し、すでに疑いを度し、すでに疑惑を断じ、すでに無畏を得た。」

ここ(経)では、彼は「私はすでにソータパナに成った」とは言っていないのである。

ソータパナは一種の名相であり、概念であり、経を多く聞いた人しか知らない概念である。

道果を証悟する時、諸々の聖者は、「所縁通達」を通して、名色の完全な滅尽を覚悟(=悟り)するが、これを「無為涅槃」と言う。

彼らは「作用成就」によって、「無痴通達」を実践し、残りの三聖諦、すなわち、苦聖諦、集聖諦、道聖諦を、徹底的に覚悟(=悟る)する。(中略)

Maggaṁ phalañca nibbānaṁ 

paccavekkhati paṇdito、

Hīne kilese sese ca 

paccavekkhati vā na vā。

智者は道、果と涅槃を省察し、また、彼が已に断じた所の煩悩が、残っているか、煩悩がいまだ有るか、ないかを省察する。(以下略)

(13-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<Ven. U Puññānanda『禅修指南』見出し紹介 文責 Pañña-adhika Sayalay>