Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

般若の独り言~概念を離れる

先日来、少し風邪気味。

初期の風邪は葛根湯で治すのが私流で、朝夕葛根湯を飲んでいましたら、風邪は悪化する事なく、そのまま治ってしまいましたが、咳だけ、なかなか止まない。

咳が出る度に「ああ、嫌だな」という<負のスパイラル>に落ち込むので、横になったまま、軽い瞑想をしてみました。

瞑想をしていると、咳が出そうになる瞬間、この現象を脳が取りまとめて「咳」という概念で纏め、その後に「嫌だな」という嫌悪感が生まれる事に気が付きました。

<臭い匂いは元からシャット!>じゃないですが、ゴホンゴホンという行為に対して、脳が「これは咳である」と言葉の意味づけをする・・・もし、この種の概念が出て来なければ、嫌悪感も出て来ない訳で・・・瞑想で正念正知の状態を保っていると概念は出て来ないので、嫌悪も出て来ないか、出てきても非常に淡いものになるようでした。

タイのアチャン・チャーの先生でありましたアチャン・マンは、荒野で病気になった時に「これは己の怖れの心を観察するよいチャンスだ」「このチャンスを使って修行できないのであれば、私はこのまま野に果てよう」という覚悟で、己の恐怖心の観察に取り組んだそうです。

恐怖心や嫌悪感と戦うのではなくて、瞑想の中で観察する。

そうすると、心と身体の関係の欺瞞性が見えてくる。

それが覚醒です。

追記:ブログの読者の方から「人が、何かをしたいと思う0.7秒前に、脳はすでにその行為を発注している(自由意思はない?)」という風な意見を頂きました。脳が行為を発注するその前は、どうなっているのでしょうか?いずれ瞑想で分かるようになるでしょうか?なかなか興味深いです。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>