Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

苦聖諦は遍知されなければならない

仏陀は、苦聖諦は遍知されなければならないと、指導・

教導した。

その意味は、己自身、自ら証した所の智でもって、五取蘊(pañcupādānakkhandha)を、完全に了知しなければならない、という事である。

仏陀は《蘊相応・蘊経》(Khandha Sutta)等の経の中で、五取蘊に関して、以下の様に述べている:

”比丘たちよ。

五取蘊(pañcupādānakkhandha)とは何か?

1)比丘たちよ。

すべての、如何なる色(Yaṃ kiñci、bhikkhave、rūpaṃ)、過去のもの、現在のもの、未来のもの、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠いもの、近いもの、は皆、有漏(sāsavaṃ)であり、執着されるものであり(upādāniyaṃ)、これらを色取蘊(ayaṃ vuccati rūpapādānakkhandho)と言う。

2)すべての、如何なる受(Yaṃ kāci vedanā)、過去のもの、現在のもの、未来のもの、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠いもの、近いもの、は皆、有漏(sāsavaṃ)であり、執着されるものであり(upādāniyaṃ)、これらを受取蘊(ayaṃ vuccati vedanupādānakkhandho)と言う。

3)すべての、如何なる想(Yaṃ kāci saññā)、過去のもの、現在のもの、未来のもの、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠いもの、近いもの、は皆、有漏(sāsavaṃ)であり、執着されるものであり(upādāniyaṃ)、これらを想取蘊(ayaṃ vuccati saññnupādānakkhandho)と言う。

4)すべての、如何なる行(Yaṃ kāci saṅkhārā)、過去のもの、現在のもの、未来のもの、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠いもの、近いもの、は皆、有漏(sāsavaṃ)であり、執着されるものであり(upādāniyaṃ)、これらを行取蘊(ayaṃ vuccati saṅkhārupādānakkhandho)と言う。

5)すべての、如何なる識(Yaṃ kāci viññāṇaṃ)、過去のもの、現在のもの、未来のもの、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠いもの、近いもの、は皆、有漏(sāsavaṃ)であり、執着されるものであり(upādāniyaṃ)、これらを識取蘊(ayaṃ vuccati viññānupādānakkhandho)と言う。

比丘たちよ。

これらは五取蘊と言うIme vuccanti、bhikkhave、pañcupādānakkhandhā)。”<注1>

<注1>:《清浄道論(訳者注1)・次第等決定論》(Kamādivinicchayakathā)では、この部分の経文を引用して五取蘊を解説している。

<訳者注1>:中国語原文では、《清浄道論》は《清浄之道》となっているが、日本語訳では《清浄道論》で統一する。

(3-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>