Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(原文P196)

禅修行者:

涅槃とは何ですか?

それは、どの様にして生起しますか?

禅師:

仏陀は以下の様に言います:

貪・瞋・痴のない時の心はすなわち、涅槃である、と。

言い換えれば、一粒の、煩悩のない心は、涅槃を見ることができます。

貪・瞋・痴のない心は、般若の智慧が充満しており、この様な心は、涅槃を見ることができます。

禅修行者:

それならば、我々は、貪・瞋・痴が暫定的に消失した時、暫定的に涅槃を体験できるのだ、という事を意味しませんか?

禅師:

そうです。その可能性はあります。

これを<刹那解脱>と言います。

我々の般若の智慧が、深くなればなるほど、この種の断片的な解脱を、体験することができるようになります。

そして智慧は、益々快速に成長します。

この方式で力を得た心は、非常に多くの智慧を持っているのですが、本人はこれを文字・言語で表現するのに、非常に困難を覚えます。

我々が、観智を備え、絶対的実相を洞見(=洞察と実際に照見する事)する時は、涅槃を体験する事ができません。

何故であるか、分かりますか?

禅修行者:

分かりません。

禅師:

というのも、観智の対象は名色の過程であり、それは有為法であるが故に。

この観智が強大になった時、徐々に道智(magga-ñaṇa)の段階に踏み入れる事になります。

この段階に入った心のみ、涅槃を理解することができます。

(Gにつづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<《Awereness alone is not Enough》より改題/抜粋翻訳

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>