<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(原文P196)
禅修行者:
涅槃とは何ですか?
それは、どの様にして生起しますか?
禅師:
仏陀は以下の様に言います:
貪・瞋・痴のない時の心はすなわち、涅槃である、と。
言い換えれば、一粒の、煩悩のない心は、涅槃を見ることができます。
貪・瞋・痴のない心は、般若の智慧が充満しており、この様な心は、涅槃を見ることができます。
禅修行者:
それならば、我々は、貪・瞋・痴が暫定的に消失した時、暫定的に涅槃を体験できるのだ、という事を意味しませんか?
禅師:
そうです。その可能性はあります。
これを<刹那解脱>と言います。
我々の般若の智慧が、深くなればなるほど、この種の断片的な解脱を、体験することができるようになります。
そして智慧は、益々快速に成長します。
この方式で力を得た心は、非常に多くの智慧を持っているのですが、本人はこれを文字・言語で表現するのに、非常に困難を覚えます。
我々が、観智を備え、絶対的実相を洞見(=洞察と実際に照見する事)する時は、涅槃を体験する事ができません。
何故であるか、分かりますか?
禅修行者:
分かりません。
禅師:
というのも、観智の対象は名色の過程であり、それは有為法であるが故に。
この観智が強大になった時、徐々に道智(magga-ñaṇa)の段階に踏み入れる事になります。
この段階に入った心のみ、涅槃を理解することができます。
(Gにつづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<《Awereness alone is not Enough》より改題/抜粋翻訳
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>