Nimitta が出ない 出ないと お嘆きの諸兄へ
皆さまもご存じの通り、パオ・メソッドの肝は、nimitta(禅相)です。
nimittaがでなければ、延々と<止>の修習をして、vipassanā に進む事はできません(近行定レベルで行う四界分別観は、<止>の完成を要求されませんが、結局は身体が透明になった後で、色聚の観察をするのですから、やはりnimittaは必要です)。
そして、日本には nimitta が出ない、出ないとお嘆きの、大勢の諸兄、諸姉がおられます。
なぜ、nimitta がでないのでしょうか?
いえいえ、nimittaは あなたが息をしている限り、鼻の先、すぐそこに出ているのですが、あなたが<気が付かない>だけなのです。
あなたが吐く息は、色聚(素粒子)で構成されています。そして、素粒子には必ず光の成分も含まれているのですから、あなたの吐く息は、<最初から光って>いるのです。
あなたが息の光っているのに気が付かない、すでに存在している nimitta に気が付かないのは、あなたの、
その<心>が災いしているのです。
あなたの心が、貪・瞋・痴に満たされている時、息が光っていても、全然気が付くことができません。
貪・瞋・痴とは何でしょうか?
あれが欲しい、これが欲しいという貪欲。
彼が嫌い、あの人が嫌という怒り(自分の事が嫌いだ、と言う人もいます)、世俗の出来事に関する強すぎる正義感等々。
ものごとは、因と縁の連鎖に過ぎないことを知らずに、ものごとの原因と結果とその連鎖を、全く理解できないか、または、ぼんやりとしか理解できない痴。
そして、一番の問題は、己自身が貪・瞋・痴まみれなのに、それに気が付かない<心の蛸壺状態>。
Nimitta が出ない・・・ではなくて、すでにある
nimitta を発見できない諸兄、諸姉は、原因を他者に求めるのではなくて、己自身の心のありように求めて下さい。
智慧と信、定と精進のバランスを取る事。
この四者のバランスを取るのは、正念である事。
正念と智慧でもって、己自身の貪・瞋・痴を滅ぼすと、nimitta は見えてきます。
Nimittaとは、すでにあるものを発見し、拾い上げるだけなのですから、あなたは何の努力もいりません。
己自身の貪・瞋・痴に気が付く事。
己の傲慢を滅ぼす事。
外堀を埋めれば、城は手に入ります。
頑張って下さい。
追伸:結跏趺坐がいいとか悪いとか、足を替えてもいいのか、ダメなのかとか、それは毎日の座禅・瞑想の体験の中で、己自身で己自身の最適解を見つけて下さい(仏陀は道を示すが、あなたを背負って走らない)。
私の体験では、(初心者・中級者は)30分で心が静かになり、30分でnimitta の元が見えて来て、その後30分で、nimittaが安定する・・・(熟練すれば、座ればすぐに、nimittaが見えます)。
(初心者が)この過程を踏むためには、一時間半、坐れる様になるのが理想です(足は替えてもOKです、息から気持ちを逸らさずに、静かにそっと)。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>