Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(J-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

七覚支の内、三種類は因で、四種類は果です。

三種類の因覚支は、念、択法と精進です。

あなたはこれらの覚支を ”インプット” して、能動的に修習することができます;

四種類の果覚支は、喜、軽安、定と捨で、我々は、それらを創造したり、生起させたりする事はできません。

先ほど三種類の智慧について述べた時、私は択法は思慧に属すると、言いました(+が);捨覚支は修慧に属します。これは真正なる理解の下に生じる捨ですから。

智力と智慧は、vipassanā においては、欠かす事のできないものです。択法とは、一種の智慧の様なもので、故にキーポイントとして、非常に重要です。

智力があって、どの様に思考するべきかを知っている人は、vipassanā の修行においても、効力を発揮します、というのも、彼らは理解が速いからです。

天性に聡明である人ーー思慧が高いーー人は、容易に修慧を証得します;思慧の弱い人、理論、ロジックに弱い人は、非常に長い時間修行しなければなりません。この種の人は、思慧を支えるために、聞慧に重点を置かなければなりません。この種の人は、先に大量の情報を収集し、他者の指導を受けなければなりません。この種の人は、己自身で問題を解決する能力を持っていないので、どの様に修行するべきかを、他人に指導してもらわねばならないのです。

経典に基づいて、択法の生起には七種類の因と縁があることが分かります;

一、仏法に関して、何度も質問し、聞法する。法性と関連する問題に関して、よく討論・研究し、それらに関して調査し、それらに関して思惟する事。

二、我々自身の内心と外部のすべてを清らかにする事。この様にすれば、心は清らかで明晰になり、清らかで明晰な心は、智慧の生起する為の因と縁の一つの要素となります。

(外部を清潔に、という意味は、我々の身体と環境を言いますーー清らかさの程度は、それなりで結構です;しかし、最も重要なものは、内心の清らかさです。心内の煩悩を、綺麗に洗い流す必要があります。)

三、五根のバランスを学ぶ。(この方面では、大いに時間をかけて修行しなければなりません。まず先に、あなたは五根とは何かを知らねばならず、その後にどれが強すぎて、どれが弱すぎるかを見つけ出して、それからのち、それらをバランスするのです。)

四、愚痴(=愚か)なる人と、往来しない。

五、智慧のある人と付き合う。

六、深い智慧を観察する。深い意味を持つものごとに対して、それを観察するか思惟する。

七、智慧が成長するように願い、(+修習を)実践する。

(Kにつづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<《Awareness Alone is not Enough》より改題/抜粋翻訳

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>