Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-25)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

<注13>

《清浄道論・神通論》(Abhiññākathā)は、この話を、詳細に、以下の様に、解説している:

住立とは不動の事であり、すなわち、フラフラしない(acale)、不動揺(niriñjaneti)で、五根はその敵対する法によって動揺する事がない:

信(saddhā)は無信(asaddhā)に動揺させられる事がなく、

精進(vīriya)は懈怠(kosajja)に動揺させられる事がなく、

念(sati)は放逸(pamāda)に動揺させられる事がなく、

定(samādhi)は掉挙(uddhacca)に動揺させられる事がなく、

慧(Pañña)は無明(avijjā)に動揺させられる事がなく、

生じた光明(obhāsagata)は、煩悩の暗黒(kilesandhakāra)に動揺させられることがない。

この8項目の要素を具足する心は、勝智の諸法(abhiññāsacchikaraṇīyānaṃ)の証悟を、誘発することができるが、それは勝智(abhiññāsacchikiriyāya)を証悟する為の、基礎(pādakaṃ)と近因(padaṭṭhāna)となる。

義註では、それをvipassanā の基礎になるジャーナ(vipassanāpādakajhāna)である、と言う。

《清浄道論・定功徳論》(Samādhiānisaṃsakathā)では以下の様に言う:

”学人と凡夫(非阿羅漢と非聖者)は、出定(vuṭṭhāya)のあと、思う:

’私は定の心でもって観の修習をしよう(samāhitena vittena vipassissāmāti)。’

すでに修習したものをもってvipassanā の足処(padaṭṭhānattā)の安止定の修習(appanāsamādhibhāvanā)に(+利用するが)故に、近行定の修習(upacārasamādhibhibhāvanāpi)をもその内に伴って、障礙の内において、vipassanā の功徳(vipassanānisaṃsā)を証悟する機会を、得ることができる(+に違いない)。

故に、仏陀は言う:

’比丘たちよ。

定の修習をしなければならない!

比丘たちよ。

定力のある比丘は、如実に(+真理を)了知することができる。’ ”

(3-26につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>