<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1a)名色法がどの様にして、過去と現在の諸因に基づいて、持続的に生起するのかを了知し、照見する事を、縁生を知見する、と言う(paccayato udayadassana)。
名色法の過去の因を了知し、照見する事とは、それらがどの様にして、過去の業から生起するのかを了知し、照見する事である。
これは、禅の修行者にとって、その過去生で造(ナ)した所の業を知見する事を、要求しているのである。
色法の現在因を了知し、照見する事は、それらがどの様にして、現在の心、時節と食から生起するのかを、了知し照見する事である。
識の現在因を了知し、照見する事は、それらがどの様にして、常に名色と共に生起するのかを了知し、照見する事である(名とは常に、心と共に生起する所の、心所の事である;色とは、それに依存して心識が生起する所の色処、及び心識が識知する所の、色法所縁の事である。)
受、想、行の現在因を了知し、照見する事は、それらがどの様にして、触を原因として生起するのかを了知、照見する事である(心所は、必ず依処、所縁と心識との接触に依存て、初めて生起する事ができる。)(注18)
<注18>依処、所縁と触:仏陀が《中部・六六經》(Chachakka Sutta)の内に述べた所の、六触身に関する解説を参照の事。
(3-33につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>