Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-35-b)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

《相応部・定經》において、仏陀は、類似した内容の教えを、教導している。

そこにおいては、比丘は、如実にこれらの事柄を知らなければならないと言い、また、仏陀は《増支部・修定經》の中において、以下の様に、指導している:

”比丘たちよ。

なぜ定の修習(bhāvitā)をするのか、それを多く修習する(bahulīkatā)と、なぜ念と正知に導き至ることができるのか(satisampajaññāya saṃvattati)?

ここにおいて、比丘たちよ。

比丘はすでに生じた受を知っている(viditā vedanā uppajjanti)、

それが住するのを知っている(upaṭṭhahanti)、すでにそれが滅し去ったのを知っている(abbhatthaṃ gacchanti)。

想(saññā)がすでに・・・知っている・・・尋(vitakkā)の生じたのをすでに知っている・・・すでに住するのを知っている・・・すでに滅し去ったのを知っている。”

”念と正知” の解説においては、複註は《大念処経》における、七種類の念処について、下記の様に、述べるものである:

”比丘たちよ。

比丘が前進する時、戻る時、正知を保持しなければならない(abhikkante paṭikkante samapajānakārī hoti)・・・。”

義註では、”すでに知る”(viditā)は ”明確(+な状態)に変化する”(pākaṭā hutvā)であると言う;

 (3-35-cにつづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>