Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-37)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

観(法随観ーー五取蘊)

故に、仏陀は《大念処経・法随観》の中において、この種の観智を教え、教導した。

【次に、比丘たちよ。

比丘は五取蘊に対して、法随観法において住する。

比丘たちよ。

比丘は、どの様にして、五取蘊に対して、法随観法において住するのか?

比丘たちよ。

ここにおいて、比丘は[了知する]:

1)’これは色である、これは色の集である、これは色の滅である;

2)これは受である、これは受の集である、これは受の滅である;

3)これは想である、これは想の集である、これは想の滅である;

4)これは行である、これは行の集である、これは行の滅である;

5)これは識である、これは識の集である、これは識の滅である。’

この様にして、或いは、内において法随観法に住し、

あるいは、外において法随観法に住し、

あるいは、内と外において法随観法に住し、

あるいは、法随観における生起する法において住し、

あるいは、法随観における滅し去る法において住し、

あるいは、法随観における生起する法、滅し去る法において住する。

彼が ’有法(=法がある)’ という念を現起(現象)させるのは、ただ智と憶念のレベルにおいてである。

彼は依する所なく住し、また、世間の一切に執着しない。

比丘たちよ。

比丘は、五取蘊に対して、法随観法において、住する。】

比丘は、”内、外” において法随観法するということは、五蘊の過去、現在、未来、内、外、粗さ、微細、劣等、優秀、遠い、近いを観照することであり、また、”これは色、これは受、これは想、これは行、これは識”と了知する事でもある。

この種の了知は、苦聖諦の認知と理解に相当する。

仏陀が比丘に ”法随観法の生起、壊滅において” と言う時、それはすなわち、比丘が五蘊の ”生起” と ”滅没” の随観を修習する事を指しているのである。

(3-38につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>