Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-38)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仏陀はまた、この種の、五蘊に対する観智を、三種類の遍知と呼んでいる。

例えば彼が《蘊相応・証知經》(Abhijāna Sutta)の中に、述べている様に。

” 1)比丘たちよ。

色に対して、証知しない者(anabhijānaṃ)、遍知しない者(aparijānaṃ)、離棄しない者(avirājayaṃ)、捨断しない者(appajahaṃ)は、苦を尽滅する事はできない(abhabho dukkhakkhayāya)。

受に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

想に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

行に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

識に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。”

ここにおいて、仏陀は三種類の遍知の過程を教え、教導している。

(1)証知(abhijānaṃ):これは禅の修行者が、己自身、自ら五蘊およびその因ーー異なる種類の色の過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近い及びその因、異なる種類の受、想、行、識の過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近い及びその因を了知し、照見している事を言う。

この事がvipassanā行(vipassanācāra)の証知(注22)であり、この種の証知はまた、”知遍知”(ñāta pariññā)と言うが、それは五蘊とその因を了知し、照見する事に相当する。

<注22>《蘊經》の義註において、これら五蘊を vipassanā行(vipassanācāra)と呼んでいる:

欲界(kāmāvacara)の色蘊と、欲界、色界、無色界の三界(tebhūmakā)の非色蘊の事である。これは一種の分類の方式に過ぎない。というのも、色法は、色界においてもまた生起するもおのであって、これもたま証知と遍知によって知られなければならない。

まさに欲界の人類または欲界天人の証得すジャーナが、仏陀によって色界と無色界ジャーナに分類されている様に。同様に、色界において生じる色法は、仏陀によって欲界法であると分類されている。

(3-39につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>