<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
観(法随観ーー六内処、六外処)
こうしたことから、仏陀は《大念処経・法随観》において、この種の、六種類の内・外処の観智を教導したのである:
【次に、比丘たちよ。
比丘は六種類の内・外処
(chasu ajjhattikabāhiresu āyatanesu)
において、法随観法によって住する。
比丘たちよ。
比丘は、如何にして六種類の内・外処において、法随観法によって住するのか?
比丘たちよ。
ここにおいて、比丘は
眼を了知し(cakkhuñca pajānāti)、
色を了知し(rūpe ca pajānāti)、
またこの二者を縁として生起する結を了知し(saṃyojanaṃ)、
未だ生起しない結は、どの様に生起するのかを了知する(anuppannassa saṃyojanassa uppādo hoti)、
すでに生起した結がどの様にして捨断されるのかを了知し(uppannassa saṃyojanassa pahānaṃ hoti)、
また、すでに捨断された結は、未来においてどの様に生起しないのかを了知する(pahīnassa saṃyojanassa āyataṃ anuppādo hoti)。】
次に、仏陀は同じ様に、比丘に対して、六種類の方法によって、耳と音、鼻と香、舌と味、身体と触、意と法を了知する様、教導している。
前の述べたのと同じ様に、仏陀は言う:
【この様に、あるいは内において法随観法によって住し、
あるいは外において、法随観法によって住し、
あるいは内外において、法随観法によって住し、
あるいは法に随って、壊滅の法によって住し、
あるいは法に随って、生起と壊滅の法によって住する。
彼は、’有法(法がある)’ という念を現起(=生起させる)するが、それはただ智と憶念のレベルに過ぎない。
彼は無所依而住(=依拠する処、執着する処なく住む事)であり、また世間の一切に執着しない。
比丘たちよ。
比丘はかくの如くに、六種類の内・外処において、法随観法によって住するのである。】
(3-42につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>