Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐45)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

多くの経典において、例えば《中部・六六經》(Chachakka Sutta)では、仏陀は、この種の身受が如何に生起するかを、解説している:

”身と触(kāyañca paṭicca phoṭṭhabbe ca)の縁によって身識(uppajjati kāyaviññāṇaṃ)が生じ、三者は結合して触となる(tiṇṇaṃ saṅgati phasso)。触の縁によりて受ある(phassapaccayā vedanā)。”

仏陀は《大念処経》の中で、苦聖諦を論談する時、身と触、身識の三者の結合によって身触(kāyasamphasso)が生じ、その後に受が生起する事を身触生受(kāyasamphassajā)というのだと述べている。

こうしたことから、通俗的な言い方では、人々は膝が痛いと言うけれども、それは身触生苦受である、と言える訳である。

何が身触生受なのか?

それは一種の心所(cetasika)である。

それは、それと同じく心所である所の、身触と共に生起するが、この二種類の心所は、みな身識の生起と共に、同時に生起する。

身識、身触と身触生受は、みな名法(nāma‐dhamma)である。

仏陀は言う:

それらは必ず、身体と触所縁という二種類の色法に依存して、生起するものである。

この様に、身受が生起する時、同時に名法と色法に、影響が及ぶのである。

我々は、後に四界分別を研究する場面において、身識によって生起する所の身体は、ただ身浄色(kāyapasāda)に過ぎない事が分かるであろう:

これは身十法聚(kāyadasakakalāpa)の中に含まれる、特定的な一種の色法であり、それらは全身に分布されている。

故に、通俗的な言い方で言えば、我々の全身は、触所縁による接触を、感受することができるという訳である。

(3‐46につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>