Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-62)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

唯一の道(観の修習ーー身随観)

上に述べた様に、14種類の身随観の中、12種類は止業処と観業処に属するもので、それはすなわち、入出息を随観するもの、32身分、四界と9墓地である;

残りの2種類は、純粋に、観業処にのみ属するもので、それはすなわち、行住坐臥などの姿勢・・・前に進む、元に戻る、前を見る、横を見る等を、正知し、随観するものである。

しかしながら、14種類の身随観に関して、仏陀は同様の四つの段階に基づいて vipassanā を指導している。

彼は身随観を指導して、以下の様に言う:

【 1)かくの如くに、内(ajjhattaṃ)身随観において住し、または外(bahiddhā)身随観身において住し、または内外(ajjhattabahiddhā)身随観身において住する。

2)または身随観において生起した法(samudadhammā)において住し、または身随観における滅の法(vayadhammā)において住し、または身随観において生起し、壊滅する法(samudatavaya dhammā)において住する。

3)彼は ’有身’ (atthi kāyo’ti)の念を現起(現象)するが、これはただ智と憶念のレベルにおいてである(yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya)。

4)彼は無所依(anissito)において住し、また世間の一切に執着しない(na ca kiñci loke upādiyati)。】

我々は、後において解説することとするが、前の二つの段階は、仏陀が比丘に、基礎的な観智を証得する様に指導したものであって、後ろの二つの段階は、阿羅漢果を最終目的とした、究極的な、高度な観智を述べているものである。

受随観、心随観と 5種類の法随観において、仏陀は変わらず常に、この四つの段階を用いてvipassanā を教えているものである。

こうしたことから、21種類のすべての随観について、仏陀は常に、同じ方法を用いて vipassanā を指導しており、かつ、阿羅漢果を最終目標としているものである(+事が分かる)。

しかし、仏陀の指導は非常に簡潔であり、これら簡潔な教えを正しく理解するためには、禅の修行者は彼の教法において、その全体性を理解しなければならない。

もし、そうしないのであれば、彼の簡略な指導に対して、誤解を生じてしまうであろう。

これが、我々が、仏陀の、異なる経典の中において述べられている所の、止観の教えを引用し、論談しながら、この<序説>を書いた理由である。

次に、上に引用し、かつ論談した所の、これらの経文に基づけば、仏陀は禅の修行者は、完全に苦から離れるにあたって(sammā dukkhassantaṃ)、己自身自ら直接修した所の慧でもって、一つ毎の、四聖諦を証悟しなければならない、と言う。それはすなわち:

(3-63につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>