Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-77)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(原文P 50)

<注37>《大念処経》の義註は、その前にある《沙珈問經》(Sakkapañha Sutta)の義註に関して、以下の様に言及している。

沙珈天帝(=帝釈天)が、仏陀に比丘の禅修に関して、各種の疑問を質問する時、その中の一つに、比丘の受に関する智の問題が、含まれていた。

当該の義註は、以下の様に解説して言う:

”無色業処(arūpakammaṭṭhāne)に対しては、三種類の傾向がある(abhiniveso):

触を通して(phassavasena)、

受を通して(vedanāvasena)、

心を通して(cittavasena)。

どの様にか?

ある種の人々は、すでに簡略(+的な方法)(saṅkhittena)または詳細な(+方法)(vitthārena)によって、色業処を把握した(pariggahite rūpakammaṭṭhāne)。

その所縁(ārammaṇe)と心、心所(cittavetasikānaṃ)が初めて衝撃する時(paṭhamābhinipāto)、当該の所縁のふれあい(ārammṇaṃ phusanto)が生じ(uppajjamāno)、その時、触は明確、鮮明に変化する(phasso pākaṭo hoti)。”

その後、義註は、別のある種の人々が、所縁を体験する時(anubhavantī)、生起する所の受が、鮮明である、と説明する:

別のある種の人々は、所縁を掴み取り、かつそれを識知するが(taṃ vijjānantaṃ)、その為、生起した識が、鮮明になる。

《中部・大念処経》の義註では、受随観の部分において、直接解説を行っている。

(4-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>