Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-5)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

轆轤師の譬え

比丘の長息と短息への了知を表現するために、仏陀轆轤師(bhamakāro)の譬えを用いている:

【比丘たちよ。

熟練した轆轤師または轆轤師の弟子の様に、長く回す時は ’私は長く回している’ と了知し、 短く回す時は ’私は短く回している’ と了知する。

比丘たちよ。

同様に、比丘よ。

(1)入息の長い時、’私の入る息は長い’ と了知し、

出息の長い時、’私の出る息は長い’ と了知する。

(2)入息が短い時、 ’私の入る息は短い’ と了知し、

出息が短い時、 ’私の出る息は短い’ と了知する。】

禅相(=nimitta)

あなたがこの方法によって、長息と短息を了知する時、禅相が出現する可能性がある。

禅相とは何か?

禅相とは何かを理解する為には、まず先に、色法と名法(物質と意識)に関する、いくつかの知識を理解しなければならない。

物質は、パーリ語では ”色聚”(rūpa―kalāpa)と呼ぶ所の、微小な粒子によって構成されている。

paは色法を意味し、kalāpaは聚合体を意味する。

その意味はすなわち、それは究極色法の聚合によって形成された微小の粒子である、という事である。

例えば、一粒の八法聚には、八種類の色法によって構成されている聚合体であると言える:地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味と栄養素である。

意識現象もまた、類似の方式で生起する所の一連の心路であり、またそれは異なった類型の心及びその心所によって構成される。

ちょうど我々が<序論>において言及した様に、人間の世間では、名法の生起は色法に依存するのである:

(1)眼識の生起は、眼依処(眼浄色)と色彩に依存する。

(2)耳識の生起は、耳依処(耳浄色)と音に依存する。

(3)鼻識の生起は、鼻依処(鼻浄色)と匂いに依存する。

(4)舌識の生起は、舌依処(舌浄色)と味に依存する。

(5)身識の生起は、身依処(身浄色)と触に依存する。

(6)意識の生起は、心臓の中の、心所依処と呼ばれる所のある種の色法と六所縁に依存する:色彩、音、匂い、味、触と法所縁である。

心所依処に依存して生起した一つひとつの心は、その生起の時に、無数の心生色聚を生じせしめるる事ができる。

あなたが出入息念を育成して、定力が深まる時、定力を擁する心は、無数の代の心生色聚を生じせしめることができると同時に、それを全身に散布させる事ができる。

定力の関係によって、これらの心生色聚は、明るく光明に輝くものである。

これはそれら(+固有)の色彩である。

また、これらの心生色聚の中の火界(tejodhātu)もまた、無数の代の時節生色聚しょう生じる事ができる。それらは全身に散布されるだけでなく、体外にも散布される。それらもまた明るく光るものである。

これらの無数の心生色聚と無数の時節色聚の明るさと光明は、智慧の光と入出息の禅相を構成する。

入出息の禅相は、入出息ジャーナの目標であるが、しかし、それは通常ジャーナを証得する直前に出現する。

深くて厚い定力を育成してジャーナに到達した禅修行者の、その皮膚と諸根の清浄光潔(=清浄で光り輝く事)もまた、同様の源を持つものである。

あなたが四界分別を修習する時、禅相は大量の明るさと光明で構成された心生色聚と時節生色聚の他の何物でもない事を発見するであろう。

(6-6につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>