<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第四節 微息
身行を平静にする
【(4)彼は学ぶ:
’私は身行を平静にして入息をする。’
彼は学ぶ:’私は身行を平静にして出息をする。’】
ここで言う ”身行”(kāyasaṅkhāraṃ)とは、上と同じく、呼吸の行の事を指すのである。それはすなわち、入出息の身である。
平静に呼吸をする、という事について、あなたが出来る事は、それを平静にすると決意する事だけであって、他に方法はないのである。
あなたは呼吸を平静にすると決意する必要があるが、しかし、持続的に、入息と出息の初めから、中間、終わりまでの過程全体を覚知し続ける事だけが必要とされる。
もし、あなたが他の方法を用いるならば、定力は干渉を受けて、喪失することになるであろう。
あなたが呼吸を平静にすると決意したならば、呼吸は更に静かになって行き、定力もまた上昇し、禅相も出現する事を発見するであろう。
呼吸が平静になった時、多くの禅修行者は困難に出会う。
というのも、呼吸が非常に微細になると、彼らはそれをしっかりと観察できなくなったり、または呼吸が停止したのかと思ってしまうからである。
七種類の人間だけが呼吸しない:
死者、胎児、溺水者、無知覚者、四禅に入った者、滅定に入った者(nirodhasamāpatti)または梵天人。
あなたはこれのどれにも属さないのであるから、呼吸はあるのであり、それは正念が不足しているが故に、非常に微細になった呼吸を観察できないのというがその理由である。
こうしたことから、あなたは最後に呼吸を観察した場所において覚知を保ち、かつ呼吸の出現を待たねばならない。
呼吸が微細になった時、あなたはそれが鮮明になる様に、何ほどか、チャレンジしてはならない。
この種の努力は、情緒の不安定を引き起こすだけであり、定力を育成することはできないのである。
あなたはただ、息のあるがままの様子のままに、それを引き続き知覚できる様にする。
もし、それが不鮮明である場合、先ほど覚知できていた場所において、単純に待てばよいのである。あなたはこの種の方式で、正念と智慧を投入するならば、息は再び出現することを発見するであろう。
(6-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay)