<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
三法を了知する
シャーリープトラ尊者は《無礙解道》において入出息の部分を解説する時、以下の様に言う:
Nimittaṃ assāsapassāsā、anārammaṇamekacittassa;
ajānato ca tayo dhamme、bhāvanā nupalabbhati.
”相、入息、出息は、一心における所縁ではあらず。三法を知らない者は、修習しても無所得である。”
ここで言う ”相” は、鼻孔の出口または上唇の一帯ーー接触点ーーにおける、最初の遍作相を指す。
《無礙解道》によると、この相と入息、出息は、三つの別々のものであり、それらは一心の所縁では有り得ない。
なぜであるか?
一個の心識は、接触相を知り、もう一つ別の心識は、入息を知り、もう一つ別の心識は、出息を知る。こうしたことから、一個の心識は、一法しか知る事ができないのである:相、入息または出息をば。
しかし、後になると、あなたは同時に三法を知らねばならなくなる:
すなわち、相、入息と出息をば(注41)。
《無礙解道》は続けて言う:
Nimittaṃ assāsapassāsa、anārammaṇamekacittassa;
jānato ca tayo dhamme、bhāvanā upalabbhati'ti.
”相、入息、出息は一心の所縁にあらず、
この三法を知る者は、修習において所得あり。”
<注41>
《清浄道論・入出息念論》(Ānāpānassatikathā)において、以下の様に解説する:”ここにおいて、ただひとつだけが入息の所縁心であり(aññameva assāsārammaṇaṃ cittaṃ)、ひとつは出息の所縁[心]であり(aññaṃ passāsārammaṇaṃ)、もうひとつは相の所縁[心]である(aññaṃ nimittārammaṇaṃ)。
もし、この三法を有しない者であるならは(tayo dhammā natthi)、彼の業処は安止を成就する事はできないし(kammaṭṭhānaṃ neva appanaṃ)、また近行を[成就]する事も出来ない(na upacāraṃ pāpuṇāti)。
しかし、もし、この三法を有する者は、彼の業処は近行と安止を成就する事ができる(upacārañca appanañca pāpuṇāti)。”
(6- 11 につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>