Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-15)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

信根と慧根

入出息念の育成に成功するためには、あなたは入出息念に対して、完全なる信心(=確信。以下同様)を擁しなければならない。

また、仏陀の教えに対して、完全なる信心を擁しなければならないし、仏陀の教えに従えば、ジャーナを証得できることについて、完全なる信心を、擁さなければならない。

もし、あなたが以下の様な疑いを、堅持するならば:

”入出息をみているだけで、真正にジャーナを証得する事ができるのかどうか?”

または

”取相は白い綿の様であり、似相は透明で光り輝き、明けの明星の様である、というのは本当であるか?”

または、この時代においては、もはやジャーナを証得する事はできないのではないか、と疑うのであるならば、あなたの、この教えに対する信心は喪失して、入出息念の修習もまた、放棄してしまうであろう。

故にあなたは、禅の修習に対して、完全なる信心を擁しなければならない。

あなたは、如何なる疑問も生起させてはならない。あなたは、以下の様に信じるべきである:

”もし、正自覚者の教えに従って、系統的に、禅を修習するならば、私はジャーナを証得する事が、できるであろう” と。

信心は、強くなくてはならないが、しかし、過度に強くなりすぎてもならない。

あなたは、念を用いて、信と慧をバランスしなければならない。

過度の信は、あなたをして、無用の、または無意味な事柄を信じる様に、向かわせる事がある。

例えば、正法(saddhamma)に違反した法門、または護法の鬼神を信じる事等など。

過度の信はまた、狂喜や興奮を齎して、禅修の心を混乱させることがある。この種の興奮により、慧根は、似相を徹底的にみる事が、できなくなるのである。

過度の信は、対象に対して(+それがなんであるかを)決定する時、慧根が不明瞭、不安定になって、似相を覚知できなくなり、その為に、その他の、精進、念と定根もまた、弱くなってしまう:

(+その結果)精進は、相応する所の名法を策励したり、(+名法を)維持して、似相に対応する事ができなくなり、念は、似相への認知を建立することができなくなり、定もまた、心が他の所縁へと漂流して行くのを、止めることができなくなる。

こうしたことから、信心か過剰である時、信心は却って弱まってしまうのである。

この様な場合、あなたは念でもって、過剰な信を抑制し、それをして、慧とバランスを保てる様にしなければならない。

同時に、あなたは慧と信をバランスしなければならない。過度の慧は、狡賢さや計略を齎し、適切な修習から離れてしまう事になる。こうなれば、あなたは(+他人を)批判したり、(+他人に)恨みを抱く事に時間を費やして、修習するのを嫌がる様になるのである。

 これはまるで、薬を飲みすぎて生じた副作用の様で、治療するのは、非常に困難になるのである。

信と慧のバランスが良い時、あなたは信じるべき目標:仏、法、僧、業果の法則に、確信を持つことが出来る。

あなたは、仏陀の教えに従って禅を修するならば、似相とジャーナを獲得する事ができる事を、信じるべきである。

(6-16につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>