Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(7-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

三種類の遍知

次に、まさに我々が<序論>の中において解説した様に、仏陀の教えによると、観の修習をしたいと思う者は、必ず、まず己自身自らの証知を通して、過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近い色、受、想、行、識を知見しなければならない。

仏陀は、これら五蘊を五取蘊と呼び、それらは苦聖諦であると言う。

観を修習したい者は、それらの生起と滅尽を知見しなければならないが、それはすなわち、正順と逆順の縁起の事である。

これこそが、仏陀が己自身自ら五蘊、六内処、六外処、一切、色法と名法、四念処の所縁を証知せよと指示した所の、意味・内実なのである。

この種の証知を、我々は ”知遍知”(ñāta pariññā)と呼ぶ。

ひとたび、あなたが己自身自ら、五蘊の11種類の形式を証したならば、次にはそれらの無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta)の本質を審察(=省察しなければならない。

これこそが、仏陀の言う所の、五蘊、六内処と外内処、一切、色法と名法、四念処の所縁の遍知の意味・内実なのである。

この種の証知を、我々は ”審察(=省察)遍知”(tīraṇa pariññā)と呼ぶ。

五蘊を無常・苦・無我として、繰り返し不断に省察する目的は、それらへの執着を断ずるためである。

禅修行者が、この種の方式を用いて、繰り返し不断にそれらを省察する時、(もし、彼の修行が正しいものであり、観智が高く、また深く、かつ鋭利であり、同時にまた、充分な波羅密を擁するのであるならば)、五蘊への捨離は、確実に生じるのであり、かつ、それらへの執着もまた、捨断することができる。

これこそが、仏陀が言う所の五蘊、六内処と六外処、一切、色法と名法、四念処の所縁の捨棄と捨断の意味・内実なのである。

この種の証知を、我々は ”断遍知”(pahāna pariññā)と呼ぶ。

(7-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>