Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第二節 観業処の第二段階

次に、vipassanā の第二段階に進む:

【[2.1]あるいは、身随観において、生起する所の法(samudayadhammā)に住し、

[2.2]あるいは身随観において、壊滅する所の法(vayadhammā)に住し、

[2.3]あるいは身随観において、生起と壊滅する所の法(samudayavaya dhammā)に住する。】

二種類の生・滅

《清浄道論》と《無礙解道》に基づくと、二種類の生・滅がある:

(1)縁生・滅(paccayato udayabbaya):

1、あなたが無明が原因で、行が生起し;行が原因で識が生起するなどを見る時、これは正順(anuloma)縁起というーー諸々の蘊における、縁生の証知である。

2、あなたが無明が滅する時、行が滅し、行滅するが故に、識が滅する等を見る時、これは逆純順(paṭiloma)縁起というーー諸々の蘊における、縁滅の証知である。

(2)刹那生滅(khaṇato udayabbaya):これは、諸々のうnが刹那刹那に生、滅し、また変易しているのを言うーーこれはそれらの無常の相である。

この二種類の生・滅を照見する事は、すなわち、観の修習の第二番目の段階に相当する。

縁の生・滅を識別しなければならない、その理由は、我々が永遠の自我があるとか、霊魂があるとかの邪見(miccādiṭṭhi)を取り除く為であり、また、死後は滅に帰するという邪見を取り除く為にでもある。

あなたは、己自身の証知に基づいて、生と死との発生は、諸々の縁によるのであり、これらの縁が消滅する時、生死流転もまた余す所なく、滅尽する。

これは、我々が<序論>において、言及した所の正順縁起(anuloma paṭicca-samuppāda)と逆順縁起(paṭiloma paṭiccasamuppāda)の事である。

正順縁起

””比丘たちよ。何が苦集聖諦であるか?

無明の縁によりて行あり、行の縁ありて識あり、識の縁ありて名色あり、名色の縁ありて六識あり、六識の縁ありて触あり、触の縁ありて受あり、受の縁ありて愛あり、愛の縁ありて取あり、取の縁ありて有あり、有の縁ありて生あり、生の縁ありて老、死、愁、悲、苦、憂、悩が生起する。

この様に、苦蘊の全体が生起する。

比丘たちよ。

これを苦集聖諦と言う。”

逆順縁起

”比丘たちよ。

何が苦滅聖諦であるか?

無明の滅する時、すなわち行滅す。行滅する時、すなわち、識滅す。

識の滅する時、すなわち、名色滅す。名色滅する時、すなわち六処滅す。

六処滅する時、すなわち触滅す。触滅する時、すなわち、受滅す。

受滅する時、すなわち愛滅す。愛滅する時、すなわち取滅す。

取滅する時、すなわち、滅あり。滅ある時、生の滅あり、生の滅ある時、すなわち、老、死、愁、悲、苦、憂、悩が滅する。この様にして、苦蘊の全体が尽滅する。

比丘たちよ。

これを苦滅聖諦と言う。”

(9-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>