もうすぐ年末ですが、毎日せっせと、パオ・セヤドー著『涅槃証悟の唯一の道』を、翻訳しています。
Hatena blog では、作表が出来ませんので、原文 P135 以降にある付表は、すべて割愛させて頂きますので、後2、3日で終わらせる事が、できる様です。
しかし、ゴータマ仏陀の正等正覚、もはや<感動>を通り越して、総毛立つ程の・・・としか、いい様がありません(そりゃ、《仏陀》と尊称されるお方、半端ないですよね。)
私は若い頃から、ゴータマ仏陀は何を悟ったのか、非常に興味と関心がありましたが、どなたに訊ねても、なかなか納得する説明に、出会うことができませんでした(注1)。
一度『天台摩訶止観』という、天台宗で使われていると思われる、日本語の仏教書を読んでみましたが、その時は、よく理解できませんでした。
ところが、30歳過ぎて、タイの森林僧院に行く様になって、森林僧院の僧侶に「ここでは何を教えているのですか?」と訊ねた所、『サマタ・vipassanā(止・観)である』とのお返事。
そして、そのお返事に、取り立てて追加の説明もなかったのですが、私は『ああ、これ、私が探していた修行方法!』と、ストンと腹落ちしたのです。
前世の縁が熟せば、事態は勝手に動くもの・・・そんな所でしょうか。
『涅槃証悟の唯一の道』を翻訳していて、16観智の部分になると、ゾクゾクします。
道智とか果智とかの、出世間智の部分に到達するのは難しそうですが、初歩的な観智の部分ならば、凡夫の私でも、一歩一歩精進して進んでいけば、必ず到達する事ができる。そんな気がするのです。
20日は、愛犬オハナの虫歯を抜く日です(ちょっと遠くの、評判の良い動物病院まで、出かけます。)
それまでに翻訳を、終わらせられそうです。
誤字・誤植などありましたら<菩提樹文庫>まで、よろしくお願いいたします。
(注1)タイの森林僧院では、安般念を教えて頂いていましたが、パオ・セヤドーの著書に出会った時の衝撃は、今も忘れる事ができません。