Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

翻訳『禅修指南』(2-13)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(5/520)

Taṁ tasseva paññāyati:

「行者の慧のみが、それ(光明)を(見ることができる)。」

この種の光明は、唯一、行者の智慧によってのみ、見ることができ、その他の人々は、見ることができない。

例えば、我々は、肉眼でX線を、見ることができるであろうか?

否、見る事はできない。

(+しかし)我々は、X線を、肉眼で見ることができない事を理由に、X線は存在しない、と言えるであろうか?

否、我々はその様には、言えない。

というのも、我々は X線を写すことが出来るが故に。

Tena phuṭṭhokāse rūpagatampi passati.

「この色(光)が、到達して、接触する所の空間は、彼はすべて、見ることができる。」

光が外に向かって拡散する時、それが到達する場所において、人々は、各種の目標を、見ることができる。

彼は、何でもって、これらの目標を、見るのであるか?

Passanto ca cakkhuviññāṇena passati、udāhu manoviññāṇenāti vīmaṁsitabbanti vadanti:

「彼らは言う、(行者が)見る時、彼は、自分が一体、眼識でもって見ているのか、それとも、意識でもって、見ているのかを、観察しなければならない。」

観智によって生じた光によって、外部の諸々の目標を見たり、また分析したりすることができる。

止禅心の光明はもまた、外部の目標を識別するのに用いる事ができるが、しかし、それは、天眼通ほどには、正確ではない。

故に、(+修行者が)外部にある目標を見る時、それは一体、眼識でみているのか、それとも意識で見ているのか?(+が問われなければ ならない)。

(2-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>