<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
この段階において、(+修行者は)「近行定」または「安止定」に到達したのだ、と言える。
近行定とは、ジャーナに証入する前の定である;
安止定はすなわち、ジャーナの定である。
この二種類の定は、みな「似相」を目標としているが、その違いは、近行定の諸禅支は、いまだ充分に、強くて力のある状態まで進展していない、という事にある。
その為、「有分心」(bhavaṅga citta)は、近行定の時には、いまだ生起する可能性があり、禅修行者は、「有分心」に落ち込むことがある。
この種の現象を体験した禅修行者は、一切が停止した、と述べることがあり、また、あまつさえ涅槃を体験したのだ、と主張することもある。
実際は、その時「有分心」はいまだ存在していて、故に、心はいまだ停止しておらず、ただ禅修行者の能力が不足しているが為に、それを察知できないだけである。
というのも、「有分心」とは、非常に微細なものであるが故に。
「有分心」に落ち込むのを避けるため、また引き続き定力を上昇させるため、あなたは信、精進、念、定、慧の五根の力を借りて、心をして、似相に専注せしめる様に、しなければならない。
精進根によって、一回また一回と、似相を覚知し、念根によって、似相を忘れない様にし、慧根によって、似相を覚知する様(=これが似相である、と理解する事訳者)にしなければならない。
(3-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay